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目次

アトランティス(Atlantis)とは

 古代ギリシアの哲学者プラトンが紀元前360年頃に著した『ティマイオス』と『クリティアス』という2冊の本の中に登場する夢のような文明について触れられていたのが発端となります。その部分を次に示します。

(エジプトのサイスという町の高齢の神官の話しを伝聞で伝えている)

「・・・いま、あなたがた(ギリシアの民)がヘラクレスの柱と呼んでいる海の入り口の前方に一つ島があった。この島はリビアとアジアを一緒にしたよりも大きく、この島から他の島々に航海することができ、さらにこれらの島から海の海岸にある本当の大陸、真実の、かつ完全な大陸と呼ぶことができる陸地にいくことができた・・・。このアトランティスの島に強大な国家が作られ、ここの王たちの権力はこの島全体、他の多くの島、それから大陸の若干の部分に及んでいた」

(さらに神官はアトランティスの文化についても伝えている)

「・・・かつて我々の同胞が作り上げた法律と行った業績の中で、最もすばらしかったのはアトランティスと呼ばれる大陸に栄えた文明である。我々の国には、その全てに関する記録が残っている。

 その記録によると、どのように人々を守ろうとしても、堕落した人に向けられた神の怒りから人を守ることはできない。人類の滅亡は今まで何回か起こり、これからも何回となく起こるだろう。アトランティスの場合もそうであった。あるひ、天から疫病のように洪水がやってきて、文明が滅び去ってしまったのだ。

 今あなたが住んでいる場所(古代ギリシア)は、破局から取り残された小さな芽からやっと芽生えたものなのだ。

 それに気付かないのは、残った人々が文字を知らない無知な人ばかりであり、何世代にも渡って文字を作り出すだけの能力を持っていなかったからだ。

 ギリシアの民よ。おまえたちは、かつて優れた人たちが優れた文明を栄えさせていた事実を知らない・・・。私は、そのかつて栄えた文明についてお話しよう。」

 要約すると、かつてアテナイの政治家であり詩人でもあったソロンがエジプトに旅行した折、その他の神官が昔のアテナイ人の勇敢さをたたえ、古い記録に基づいてプラトンに語って聞かせたという体裁をなしているのです。

 プラトンの時代のギリシアはペロポネソス戦争の最中で、デロス同盟とペロポネソス同盟の絶え間ない戦争で人々が苦しんでいた。そこで、プラトンがアトランティスの話しを持ち上げ、その中でアトランティスの繁栄と人間のおろかさによる悲劇を伝え、これを教訓にしろと伝えたかったと推測される。

 しかし、ここで本当にアトランティスが存在したのかという疑問がある。それについてこの講座で考察していく予定です。

プラトンの思想背景

 プラトンを含めたピタゴラス学派の哲人たちは、神は宇宙を釣り合いのとれた形でつくりたもうたものと考えました。従って、自分たちの住んでいる世界と同じような、もう一つの陸地があるに違いないと考えたのも当然の成り行きだった。

アトランティス伝説に関するの要点

プラトンに関すること

・プラトンの『ティマイオス』と『クリティアス』の二書で触れられている。

・この本が公刊されたのは、プラトンの死の数年後である。

・プラトンの先祖ソロンに伝えるのは、ナイル・デルタ文明にあった都市サイスのエジプト人神官たちである。

・本の中でプラトンの十八番である彼以外の語り手に語らせる形式をとっている。

これがアトランティス伝説否定者が気にするところでもある。

・語り手はソロンの子孫(プラトンの先祖)のクリティアスである。

・プラトンの弟子アリストテレスが、アトランティスの件でプラトンに創作だろうと質【タダ】したところ、プラトンは口を濁らせたらしい。

・プラトンは、生きていた間は、巷のギリシア人たちの嘲笑の対象にされていたらしい。

 

アトランティス文明そのものに関すること

・一夜で沈んだらしい。

氷河湖の決壊ならば、この問題も片付く。

・本当に存在したかどうか疑わしい

・存在した場所が分からない。

・ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)を超えた西の大洋にリビア(当時の人が考えていたアフリカ)とアジアを合わせたほどの大陸があったといわれても、地質学的に無理がある。

・『クリティアス』に出てくるアトランティス島の像は、氷河期を生き延びたマンモスの可能性が高い。

・海神ポセイドンが作ったアトランティスは海と陸の環状帯である。

・オレイカルコスはオリハルコンのことであるが、おそらく青銅だろうといわれている。

実際、この地方(英国諸島の南部とイベリア半島)で青銅が取れた。

アトランティス存在の賛否両論

アトランティスの存在の賛成者

ギリシアの歴史家プルターク

著書『ソロン伝』の中でアトランティスの名前を持ち出している。

コロンブス

西へ西へ行けば中国やジパングへ行けると信じた(実際行ける)。 その航海中、サンサルバドル島を発見し、「イザベル女王との公約だったインドを発見した」と記しているが、親しい友人に宛てた手紙には一転「私はアトランティス大陸を発見したと思い、浮き足立ってしまった」と書き残している。

スペイン人ロペス・ダ・ゴマラ

「アメリカ大陸こそ、プラトンが書き残したアトランティス大陸だ。あるいはプラトンが予想していたジブラルタル海峡のさらに先に広がっていた大陸に違いない」と唱えている。

フランシス・ベーコン

『新アトランティス』において、「ブラジル=アトランティス」説?を唱えた。

アメリカの研究家イグネーシャス・ドネリー

アトランティスに関する13項目を確認した。 (1)太古の時代、地中海の向こうの太平洋に大きな島が存在し、その名はアトランティスといった。 (2)プラトンが書き残したアトランティスは実話である。 (3)これは人類が初めて文明を築いた場であり、ここで人々は原始生活に別れを告げた。 (4)時代が進むにつれ、多くの人口をかかえるようになり、強国となっていった。やがて、アトランティス人は世界の各地に移住を始め、メキシコ湾岸、南米、地中海、ヨーロッパやアフリカ各国に文明を伝えていった。 (5)伝説の楽園「エデンの園」はアトランティスのことである。 (6)古代ギリシアや古代インドなど各地の信仰を集めたと伝えられる神々はこの帝国の王や女王、英雄たちが神格化されたものである。 (7)エジプトやペルーのインカ文明などにはっきり見られる太陽崇拝はこの文明に根ざしてる。 (8)アトランティスが最初に作った植民地はエジプトである。古代エジプト文明はほとんど100%が模倣と考えてよい。つまり、エジプト文明を手がかりにすれば、アトランティス文明の姿をつかむことができるだろう。 (9)ヨーロッパの青銅文化はアトランティスをルーツとする。鉄器文化も同じである。 (10)後にヨーロッパ人のアルファベットのルーツとなったフェニキアのアルファベットの元はアトランティスの文字だった。 (11)インド・ヨーロッパ語族、セム語族の祖先はアトランティス人である。 (12)アトランティスは恐ろしい自然現象で海中に没して姿を消した。 (13)少数のアトランティス人は海中に没する直前に大陸から脱出した。世界の古代文明に大洪水伝説が残っているのは生き残った人たちが子孫に語り伝え、それがさらに語り伝えられていったものである。

アメリカの考古学者チャールズ・バーリッツ

アトランティスに関する代表的な論文270を分析して、それまでの各説を整理した。

アメリカの人類学者オズボーンやカトルファージュ・ヴェルノーなど

アトランティス人の生き残りはクロマニヨン人だという説を唱えている。 実際、クロマニヨン人と太平洋上のカナリア諸島の原住民は人種的に相似性がある。

言語学者ブラーギン

バスク人とかつてグァテマラを中心としたユカタン半島に栄えたマヤ文明の子孫たちには言語的に相似性ある。

考察

[補講1]マンモス絶滅とアトランティス文明の滅亡とされる時期が一致している。小惑星Aが太平洋を直撃したと推測するとつじつまがあう。

アトランティスの存在の否定者

アリストテレス

アトランティスは想像上の物語だと初めて言ったのが、プラトンの弟子アリストテレスである。 しかし、アリストテレスの性格上あまり信用できない。 アリストテレスは非常に嫉妬深く、プラトンの学説が強い支持を受けるとそれを否定する学説を打ち出す場合が多かった。 実際、デカルトもプラトンとアリストテレスを比較して、プラトン側を支持している。

『世界大百科事典』(平凡社)1988年3月15日初版発行

プラトンの創作と考えられるとしている。

考察

[補講1]アトランティスに関する対話集は『ティマイオス』と『クリティアス』の二編だけでなく、もうひとつ存在するという説がある。何故ならば、『ティマイオス』が完成度が高い一方、『クリティアス』が未完または後半が欠落している印象が高いからである。誰かに隠匿されたとすれば、容疑が強い人物はアリストテレスである。

[補講2]アトランティスに限らず古代文明否定者の唱えるものの一つに「文明が一夜にして滅びるのか?」という点である。これに対するアプローチとして、実際にあったツングース上空で水生が空中爆発した事実(タイガ原生林がバタフライのような形に倒れていたことから空中爆発だと分かる)とポンペイの町がヴィスビオ山の噴火によって全滅した事実(噴火の怖さは毒ガスが発することである)がある。

トランティスはどこにあったのか?

「大西洋の中間=アトランティス」説

・気候的に一致。

・ウナギは今から一億三千年〜六千五百万年前から存在しており、特にヨーロッパのウナギは生涯に二度太平洋を大旅行するという特徴を持っている。彼らは産卵期になると、ヨーロッパから太平洋を渡り、はるかサルガッソ海まで旅をして産卵するのである。しかし、不思議なことに彼らの航海コースがヨーロッパからサルガッソ海を目指して直進するのではなく、太平洋に出た後に一旦アフリカ大陸に沿って南下して、そこから南米大陸にそって北上するのである。もし、太平洋に大きな大陸(アトランティス大陸)が存在していたとしたら、古代のウナギの航海ルートが遺伝子レベルで記憶されてしまっているのでないかという説がある。

・さらに、渡り鳥たちが太平洋を通るとき、何もないはずの太平洋中間で円を描きながら降下を始めるという事実もある。これも古代の渡り鳥が遺伝子レベルでここに大陸があったとことを記憶しているとするとうまくつじつまがあうのである。

「ブラジル=アトランティス」説

・フランシス・ベーコンの説。

「サントリーニ島(テラ島)=アトランティス」説

 前15世紀の中頃、猛烈な火山の爆発によって、島に営まれていたミノス文明を火山灰の中に埋め尽くし、島そのものの姿を一変させると共に、誘発した地震と大津波とによってクレタ島にまで大きな破壊的影響を与えたことが知られるエーゲ海のサントリーニ島(古名:テラ島)とアトランティス伝説を結びつける考古学者の説もある。

 確かに、プラトンが、このテラ島大爆発の記録を聞き知り、アトランティスという壮大なお話にでっちあげた可能性もある。 しかし、プラトンがソロン(前640年頃〜560年頃)というギリシア七賢人の名をわざわざだしたのも法螺話をもっともらしく見せるための演出だったとは思えない。単なる法螺話ごときに、プラトンが有名なご先祖様の名を平気で汚す振る舞いをしたとは思えないからだ。

[補講]ソロンはソロンの新法で有名で、約200年がたったアテネでも良く知られた人物だった。

「アトランティス=アメリカ」説

 コロンブスのアメリカ大陸発見後61年の1553年に、スペインの歴史家フランシスコ・ロペス・ゴマラは、『インデス慨史』の中で、プラトンのアトランティスと新大陸は同一である、あるいは少なくともプラトンは大西洋の向こうの実在の大陸の噂を聞き、それを元にアトランティスの話を作ったに違いないと書いている。

 メキシコの原住民アステカ族が自分たちの祖先はアストラン(葦のはえる所)から移住してきたのだという伝説を持っているということと、アトルという語はアステカ族の言語によく出てくるが、これは水を意味する言葉だと分かり、一層この説が力を得た。

 サー・フランシス・ベーコンは自分の未完のユートピア小説『ニュー・アトランティス』に取り入れたり、ジョン・スワンは『スペクルム・ムンジ』(1644年)の中でこの説を押している。

 他にも、ビュホン、ヤコブ・クリューガー、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ロベルト・ブルツたちも支持していた。 

 しかし科学的見地から見ると、この説は多くの難点があります。

・プラトンの時代には、アメリカの土着文明はやっと未開状態から抜け出そうという時代であり、大洋を渡って大遠征軍を繰り出すということは到底不可能ということ。

「アトランティス=バハマのビミニ遺跡」説

 有名なアメリカの預言者が「1968年から69年に、バハマ諸島のビミニ島付近でアトランティスの一部が発見されるだろう」と言った。その言葉どおり、1968年の夏に、ビミニ島の東240kmのアンドロス島北方の水深2mの浅瀬に、巨大な建築物が沈んでいることが飛行機から発見された。その建築物は、一辺30mにもなる石造の神殿の基礎らしいことが分かった。さらに、同じ年の9月、ビミニ島北沖で、海底から1mの高さのところに長さ600mにわたる建築物が発見された。その建築物は大きさの違う巨石が石畳のように組み合わされていて、1本のまっすぐの道となっていました。

 発見された年から1970年の間に何度も調査され、その結果、ビミニ島付近では100個以上の海底建築物が発見されました。この遺跡は約1万5000年前に地上にあったことがわかった。さらに、地質学の調査によると、1万2000年前に洪水によって水没したと推測されています。

「アトランティス=南インド」説

 インド・エジプト交易は、古い時代からあったことが予想されていている。そして、インド南端の海岸部にははギリシア人の居城地さえあり、その子孫が現存していてトダ人と呼ばれている。

 この説を取ってしまうと、ヘラクレスの柱がジブラルタル海峡ではなくなってしまうのです。

「アトランティス=黒海」説

 ヘラクレスの柱はボスポラス海峡だという説があり、この立場ならばアトランティス=黒海説が浮上する。

「アトランティス=北海」説

 幻の都市タルテソスへ至るには、船団ではジブラルタルを越えなければならない。ここが『旧約創世記』が語るタルシシに違いなく、今のセビリア付近もしくはその西のウェルバ地方と考えられている。

 『新巻義雄の人類滅亡史<ファイル0> アトランティスの仮想世界史 地政学で学ぶ謎の起源』新巻義雄(青春出版社)の後半で詳しく述べられている。

アトランティスが水没した理由

海面上昇説

 フランドリア期の地球では、急激に温度が2度から5度も上がったとされている。

 最後のウラム氷期が終わり、当時の地球では厚く大陸を覆っていた氷河がどんどん溶け始めた後氷期では、海水面が100m〜120mも上昇した。

 

洪水説

 集中豪雨の後に起こる洪水現象である。しかし、広大な大陸が水没するような豪雨は現実的に起こらない。地球科学の知識に乏しい古代人にしてみれば、この説以外に説明のしようがなかったのかもしれない。

例:ノアの洪水やギリシアのデウカリオンの洪水神話も、豪雨による洪水ということになっている。

 

氷惑星衝突説

 彗星は氷(泥交じりの氷)の天体であることがわかってきたので、過去に大きな氷惑星が地球に衝突したとする説です。

例1:シベリアの空中で爆発したツングース隕石は氷の小天体だった。

例2:地球の水の半分ぐらいは外部からおびただしい氷の小惑星の衝突で供給されたらしい。

 

金星移動説

 ロシア生まれの医師イマヌエル・ヴェリコフスキーが1950年にニューヨークで公刊した本(邦題『衝突する宇宙』)の中にある説です。

 木星の衛星が太陽系の近傍を掠めた未知の天体のせいで軌道を外れて、地球の側を通り内側の軌道に入り、それが金星になった。その引力で海水が溢れ出して陸地を襲ったという説です。

地球逆転説

 上の説と同じく、近傍を通った天体の引力で、地球の自転軸がずれたという説です。

 実際自転軸がずれれば、確かに大洪水が起こります。このような現象は地球誕生から見れば起こりえるが、1万年前の出来事とするには無理があるのではないかという意見がある。なぜならば、たった1万年前にこのような大異変があったなら、その痕跡が地史学的残っているはずである。

[補講]地磁気の逆転現象は過去何度も起きているが、これとは全く別物である。

地球の表面のずれ説

 地球の表面だけがずれたという説です。グラハム・ハンコックの『神々の指紋』で唱えられた。

アトランティス文字が発見される??

 エクアドル南部にクエンカのマリア・アウグシリドラ教会のすぐ脇にクレスピ神父博物館という風変わりな博物館があります。博物館といっても実態は粗末な掘建て小屋同然のあばらやで、中に雑然と並べられ積み上げられた大量の収蔵物も、正当な考古学界からみればインチキ骨董品と無視されるものばかりです。

 それも当然で、所有者のクレスピ神父は考古学の素人だし、収蔵物は付近の原住民がジャングル内や地下の古代遺跡で見つけたと称されて(嘘かもしれないと言うこと)、持ち込んできた出所不明の工芸物だからです。見ただけで、幼稚な偽造品だと分かるものも多数あります。それでも買い上げるのは、神父の目的が実は収集よりも貧困の救済にあるからです。

 しかし、その中にこれだけは本物と言えるような工芸品が少なくとも50点以上あります。記号や文字、人物や動物の絵が刻み込まれた飾り板だが、すべてまぎれもない黄金製なのです。盗難の恐れがあるので、主要なものは銀行に保管されて、博物館にはレプリカが展示されています。

 その代表的な一枚は±と文字だけが56個のマスに整然と浮き彫りされた高さ約50センチ、幅13センチの分厚い見事な作りの純金製銘板です。

 定説では南米古代文化には最後まで「車輪」と「文字」の2大文化要素が欠けていたとされています。この銘板の文字も、古代中東に北方セム語系祖語らしいと指摘されてる数文字を除き、あとは起源不明で解読もできていません。銘板自体も南米おろか、世界のどの古代文明にも類似の見当たらぬ工芸品です。

 クレスピ神父自身は、世界中の古代文明のさらに以前までさかのぼる共通起源の高度文明「アトランティス」の実存論者で、ジャングルのどこかにその前線植民地の遺跡が現在も眠っていて、この銘板も眠っていて、この銘板もそこから持ち出されたものと(勝手に)確信しているらしいです

アステカ人はアトランティスの生き残りか?

 水上都市であるテノチティトランは、アステカ人によって建築された。スペイン人がやってくるまで100年あまりしか経っていないのに高度な下水施設などがあった。

 アステカ人は、どのようにしてこのような高度な技術や知識をもっていたのだろうかという疑問がある。

 アステカの古い文献によれば、アステカの発祥の地「水に囲まれたアトランというところが1日のうちに死滅した」という記述が見られる。このアトランはアトランティスのことではないかという説がある。

 

アトランティスはムーを堕落させた?

 『【超真相】ムー大陸の謎と真実』によれば、アトランティスとムーは盛んな交流を行っていた。ムーはアトランティスにとって文明の手本のような存在であり、アトランティス文明に多大なる影響を与えた。しかし、やがてアトランティスは独自の発展を遂げて、ムーに匹敵するような繁栄を誇るまでになっていきました。アトランティス人はムー人よりも早く、堕落していった。それに伝播するようにムー人たちも堕落していったと主張している。

プリアモスの宝

 ハインリッヒ・シュリーマン(大シュリーマンと呼ばれる)がトロイ遺跡からプリアモスの宝と呼ばれる物の中に、化石で造ったフクロウのような頭がついた置物と金属製の小さな像が軟体も発見したが、その置物や像には判別不可能な文字が刻まれていた。

 この文字をある学者に解読させたところ、「アトランティスのクロノス王より」と書かれていたことが判明した。

 大シュリーマンはこの事実を発表しなかった。というのもアトランティスの遺跡を発掘して世間をあっと言わせたい願望の虜になっていたからだと言われている。

 大シュリーマンはアトランティスの遺跡を発見することなく死んでしまったが、孫のパウロ・シュリーマン(小シュリーマンという)が祖父の意志を引き継ぎ、アトランティスの研究を続けることを宣言した。アトランティスと関連して、ムーの研究もし、ムーの研究結果を『ニューヨーク・アメリカン紙』に掲載したが、この記事の評判はあまりよくなく、インチキだと批判されてしまった。考古学に批判は付き物だが、大シュリーマンの名声で登場した小シュリーマンには絶えられない屈辱だった。その後、パウロは世の中の表舞台に登場することなく、酒に溺れ、アトランティスに関する証拠もどこにいったのかも分からなくなってしまった。

 その後、マヤ文明の遺跡からもフクロウの頭の付いた壷が発見されていて、フクロウの頭は特別な意味を持つムーの表象の一つではないかと言われている。

参考文献

  • 『超古代大陸分明の謎 アトランティス、ムー、「幻の大陸」は存在したか』
  • 『新巻義雄の人類滅亡史<ファイル0> アトランティスの仮想世界史 地政学で学ぶ謎の起源』新巻義雄(青春出版社)
  • 『地図から消えた古代文明の謎』(成美文庫)
  • 『超古代文明の謎 オーパーツ』
  • 『プラトンのアトランティス』ライアン・スプレイグ・ディ・キャンプ(ボーダーランド文庫)
  • 『世界大百科事典』(平凡社)1988年3月15日初版発行
  • 『【超真相】ムー大陸の謎と真実』
  • 黒猫さん助言Thanks!
  • vilikkさん誤植指摘Thanks!