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ショウペンハウエルの思想

思索

  • 「心に思想を抱いていることと胸に恋人を抱いていることは同じようなものである。(中略)美しい思想も、書き留めておかなければ完全に忘れられて再現不能となる恐れがあり、最愛の恋人も結婚によって繋ぎ止めておかなければ、我々を避けてゆくえも知らずに遠ざかる危険がある」(「思索」より)
  • 「ほとんどの思想は、思索の結果、その思想にたどり着いた人にとってのみ価値を持つ。ただ少数の思想のみが、読者の反響を通じて働き続ける力を持つ」(「思索」より)
  • 「ペンと思索の関係は杖と歩行の関係に近い。しかし足取りも軽い完全な歩行には杖は無用であり、完璧な思索はペンを借りずにはかどる。老いが身を迫り初めてようやく、人は進んで杖にすがり、ペンにたよる」(「著作と文体」より)

思索 vs 読書

  • 「数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効能はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識の場合も事情は全く同様である。いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、幾度も考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理をものにするといっても、それを他の様々な知識や真理と結合し比較する必要があり、この手続きを経て初めて、自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。知るためには学ぶべきである。だが知るといっても真の意味で知られるのは、ただ既に考え抜かれたことだけである」(「思索」より)
  • 「多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。重圧を加え続けるとばねは弾力を失う。つまり、自分の思想というものを所有したくなければ、その最も安全確実な道は暇を見つけ次第直ちに本を手にすることである」(「思索」より)
  • 「読書は思索の代用品に過ぎない」(「思索」より)
  • 「自ら思索する者は自説をまず立て、後に始めてそれを保証する他人の説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない」(「思索」より)
  • 「読書は自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである」(「思索」より)
  • 「読書で生涯を過ごし、様々な本から知恵を汲み取った人は、旅行案内書を幾冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである」(「思索」より)
  • 「凡庸な書籍哲学者と自ら思索する者との関係は、歴史研究家と目撃者とのそれに等しい」(「思索」より)
  • 「理論的な問題にのぞんでも、(これと同じように)然るべき時を待たなければならず、最も優れた頭脳の持ち主でも必ずしも思索できるとは限らない。したがってそのような人も普通の時間は読書に当てるのが得策である。ただすでに述べたように読書とは思索の代用品で、精神に材料を補強してはくれるが、他人が我々の代理人として、とは言っても我々と違った方式で考えることになる。多読に走りすぎてならないのはまさにこのためである」(「思索」より)
    • 然るべき時というのは、徹底的な考察の結果として結論を下すことである。
    • 読書自体が駄目というわけではなく、まず第一に思索を優先し、思索が順調でなければ読書(良書のみの精読)する方がよいと主張している。

思索 vs 経験

  • 「読書と同じように単なる経験も思索の補いにならない。単なる経験と思索の関係は食べることと消化し同化することの関係に等しい」(「思索」より)

著作

  • 「文体は精神の持つ顔つきである。(中略)仰々しい文体は渋面、しかめ顔に似ていると言ってよい」(「著作と文体」より)
  • 「優れた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。あるいはこの規則は第一規則どころではなく、第二第三をほとんど必要としないほどの、充分な規則と言ってよい。実際この規則だけで文章の道を踏破することができる」(「著作と文体」より)
  • 「話す通りにものを書こうとするのは、誤った努力である。むしろいかなる文体も碑文的文体の面影を幾分でも留めているべきである。碑文に備わる文体こそ一切の文体の祖である。だから話す通りに書こうとする努力は、その逆の努力、つまり書く通りに話そうとする努力と同じように否認されるべきである」(「著作と文体」より)
  • 「無意味な、苦労して読むに値しない注意を長々と挟んだりすることは一切避けるべきである。著者たる者は、読者の時間と努力と忍耐力を浪費させてはならない」(「著作と文体」より)
  • 「欠点とは主観的であることである。主観的であるとは、執筆者が文書の意味を自分だけで理解して満足していることである」(「著作と文体」より)
  • 「人間はまだ一度にただ一つのことしか、明瞭に考えられない動物である。文書作成にあたっては、まずこの事実に何よりも注意を払うべきであろう。だから一度に二つも三つものことを考えさせようというのは、人間に対して無理な要求である。だがこのような理不尽な要求を人間に持ち出す著作家がいる」(「著作と文体」より)
  • 「比喩あるいは直喩は、未知の状態を既知の状態に還元する限り、大きな価値を持っている」(「著作と文体」より)
  • 「比喩は知識を得るための強力な武器である。だからこそ目覚しい比喩を挙げ、優れた比喩を見せてくれる人は、明らかに深い理解力の持ち主である。アリストテレスも言っている。「巧妙な比喩を案出するのは、特に最も偉大な業である。他人から学んで比喩の達人になれるわけではなく、比喩の業は天才たることの証である。なぜなら絶妙な比喩を案出することは、事物に共通の類似した特性を把握することだからである」。また彼の次の言葉も同じ意味のことを言ったものである。「哲学において、まったく相反した事物の中に、共通の類似点を把握するのは、鋭い洞察力の業である」」(「著作と文体」より)

読書

  • 「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた後を反復的に辿るに過ぎない」(「読書について」より)
  • 「絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう」(「読書について」より)
  • 「読書によってものの書き方を学ぼうとしても、ただ自発的活動を促されるだけである」(「読書について」より)
  • 「悪書は無用なばかりか、積極的に害毒を流す」(「読書について」より)
  • 「書物を買い求めるのは結構なことであろう。ただしついでそれを読む時間も、買い求めることができればである。しかし多くの場合、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混合している」(「読書について」より)
  • 「「反復は研究の母なり」。重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄の繋がりがよりよく理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象を受けるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである」(「読書について」より)

参考文献

  • 『読書について 他二篇』ショウペンハウエル(岩波書店)