ニュートン †
- 1642〜1727年。
- ガリレイが死んだ年に、イギリスのウールスソープに生まれた。
- 父は生まれる前に死んでいた。
- 3歳のときに母が再婚して、ニュートンは祖父母に育てられた。
- 思索に耽っていて、間違えて貴重品の携帯時計を茹でたというエピソードは有名である(事実かどうかは別)。
- 惑星は慣性の法則で動いている。力が働かなければ、物体は等速運動を続けるというものである。しかし、惑星は静止しているではなく、一定のスピードで動いているので、最初に何らかの力が働いているはずである。その最初の力こそが「神の一突き」とニュートンは考えていた。
- ニュートンの死後に書斎にあった蔵書が公開された。合計1,600冊のうち、神学や哲学に関するものが500冊以上もあったと伝えられている。
- 『プリンキピア』を発表した後に、三位一体を否定する論文を書いている。
- 三位一体はカトリックだけでなく、プロテスタントにおいても大切な原理であったため、これを否定するということは、イギリス国教会を敵に回すことになりかねなかった。しかも、ニュートンを熱狂的に支持していた貴族や民衆を敵に回すことにもなりかねない。
参考文献 †