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目次

日本の対応の歴史

  • 明治40年(1907年)に浮浪徘徊しているハンセン病患者を収容するための法律が制定された。
    • 病人を救護するという目的ではなく、治安目的の意味合いが大きかった。
    • ここからハンセン病者とその家族を社会的に迫害してしまう歴史が始まる。廃止までの89年間も放置され続けたのである。
  • 昭和6年に制定された「癩予防法」(旧)では、すべての患者が強制隔離の対象となってしまう。
  • 昭和28年(1953年)に「らい予防法」(新)が制定された。
    • しかしながら、この頃にはすでに特効薬のプロミンが存在するにもかかわらず、この法律では強制隔離が維持される内容であった。そのため療養所入所者は反対運動を行った。
  • 平成8年(1996年)にようやく「らい予防法」が廃止される。
    • 国政的に治療薬の臨床効果が明らかになるにつれて、1960年代に入ると多くの国々で隔離政策は廃止されていたのにもかかわらず、日本はやっとこの年で廃止したことになる。
    • らい予防法が廃止になったとしても、そのときには療養所の平均年齢は70歳を越えており、しかもたった支援金が最高150万円(後に250万円に増額。ただし、引越し費用、技能習得費用もこれに含まれている)しか支払われなかった。そのため、新たな生活をする不安もあるため、希望する限り療養所の中で余生を送ってもよいことになった。しかし、国の責任が曖昧なまま決着をつけようとしたことにより、異議を唱える人たちが現れた。
  • 平成10年(1998年)に、ハンセン病国家賠償請求訴訟が熊本地方裁判所に起こされた。
    • 療養所入所者13人が、国の法的責任を問うために訴訟を起こしたのである。これが原告側の勝訴に終わった。
  • 平成15年(2003年)に、アイスターホテル宿泊拒否事件が起こる。
    • 一度社会に刷り込まれてしまった偏見が生んだ事件のひとつである。
    • アイスターホテル側の対応のニュース後、ハンセン病者を非難する内容の手紙がたくさん届いたそうだ。

ハンセン病(らい病)

  • らい菌により、皮膚や末梢神経が侵される感染症のひとつ。
    • 明治6年(1873年)に、ノルウェー人の医学者アルマウエル・ハンセンによって、「らい菌」が発見された。
      • 日本では昔からこの病気を「らい病」と呼んでいたが、現在は病原菌の発見者の名前を取り「ハンセン病」と呼ぶようになっている。
  • 菌が体内に入ることで感染するが、すぐに発症することはない。もし感染してもほとんどの人が生まれながらに免疫を持っているため発病することはまれである。
  • 感染経路は治療を受けていない患者との鼻粘膜や皮膚の傷からの直接感染である。
    • 免疫力が確立されていない乳幼児も感染する確率は高いが、現在のような栄養や衛生状態がよい日本で発病はほとんどない。
  • 発症すると、皮膚に白・赤・赤褐色の斑紋【はんもん】が生じる。かゆみはなく、その部位や周りには触覚・痛覚・温度感覚がない知覚麻痺が現れる。
  • 病状の進行によっては、神経がはれたり、脳や脊髄と皮膚や筋肉を繋ぐ末梢神経に運動機能障害が起こるようになる。

治療

  • 昭和18年(1943年)に、アメリカでスルフォン系薬剤であるプロミンが、ハンセン病の治療効果に優れていることが発見された。
    • プロミンは静脈注射によって投与されるため、治療を受けるためには長期間施設に入院が必要であった。
  • その後プロミンの有効成分ダプソンが飲み薬として開発された。
    • この開発により、どの医療施設でも治療を受けられるようになった。
  • 治療は1年以内に終わる。
    • 1981年にWHOが提唱した多剤併用療法(ダプソン、クリファジミン、リファンピシン)にしたがい薬を服用すれば、数日で感染力がなくなる。99.9%の菌が死滅する。
    • 少菌性のハンセン病は6ヶ月以内、多菌性のハンセン病は12ヶ月以内の継続治療で治る。
  • 早期に発見・診断を受け治療を始めれば、障害の発生は防ぐことはできる。
  • 現在はどこの病院でも治療が可能で、保険診断も適用される。

参考文献

  • 『ハンセン病を生きて きみたちに伝えたいこと』