バンヴェニストのアリストテレス解釈

[哲学的命題]
思考のカテゴリーが言語のカテゴリーのコピーに他ならない。

 思考と言語とは、それぞれ独立した領域をもっていて、言語は思考の表現手段にすぎないという常識があるが、それを打ち破る。

 思考は言語において形成され、現働化されない限り把握できないということを認めながら、しかも思考に固有のものであり、言語表現に何一つ負うところのない性格を、この思考に認める手段があるだろうか?

 バンヴェニストはカテゴリーを用い、『カテゴリー論』第4章に列挙されたアリストテレスのカテゴリーを引き合いに出す。

 アリストテレスは存在について、確認できる述辞の全体を10個に分けている。

  1. 実体か
  2. どれだけか(量)
  3. どのような(質)
  4. 何と比べてか(関係)
  5. どこでか(場所)
  6. いつか(時)
  7. 姿勢でいるか(姿勢)
  8. 状態でいるか(状態)
  9. なすか(能動)
  10. こうむるか(受動)

[補講]英語で習った5W1H(what,where,when,who,which+how)+能動/受動+状態/姿勢に対応しているはずだ。 ◇

 パンヴェニストはこの述辞を丁寧に論じて、それらの区別が何よりもまず言語のカテゴリーであることを哲学的証明しようとする。

 例えば、<姿勢>はギリシア語の同士の中動態、<状態>はギリシア語の中動態の完了形に由来する。当時は、中動態が受動態よりも重要であったことから、このような配列が生じた。つまり、アリストテレスは7,8を普遍的カテゴリーだと思い込んでいたのは、たかだかギリシア語の強制的観察に促されて生じたものに過ぎなかったわけだ。

 同様に考察していった結果、パンヴェニストはこれら10の述辞を当時のギリシア語の文法用語に置き換えた。

1:実詞

2,3:代名詞からの派生形容詞

4:形容詞の比較級

5,6:場所と時の副詞

7:中動態

8:完了

9:能動態

10:受動態

[哲学的法則]パンヴェニスト
ギリシア語に特有の動詞「ある」から、「存在」に関するギリシャの全形式上学、パルメニデスの壮麗な詩、ソフィストたちの弁論術が生まれた。

参考文献

  • 『20世紀言語学入門 現代思想の原点』加賀野井秀一(講談社現代新書)