フレーム問題とは「ある行為に関連すること」と「関連しないこと」を効率的に見分けるにはどうすればよいかという問題である。
例えば、ここで設計者がバッテリーを取ってくるロボットAを作りました。ある部屋にバッテリーが保管されていたとする。そうすると自動的にロボットAはバッテリーを持ってきた。しかし、そのバッテリーの上には爆弾が乗っていた。そして爆弾が爆発しロボットも吹っ飛んだ。原因はバッテリーを持ち出せば一緒に爆弾を持ち出してしまうということをロボットAが理解できなかったからである。
そこで設計者はさらに考察し、「自分の意図したことにともなって環境に起こる副次的な結果を認識すること」をプログラムされたロボットBを作成した。さて、先ほどと同様な環境でロボットをスタートさせると、バッテリーのある部屋の前まで行き、次のようなことを思考始めました。「部屋のドアを開ける」「ドアを開ける時に音がする」「ドアを空けても部屋の体積は変わらない」・・・。ロボットBはバッテリーを持ち出すことによって引き起こされるすべての結果(副次的結果)を考えつづけ、その間に部屋が爆発してしまった。
設計者はこの失敗を見て、行為に伴う副次的な結果を全て考察するには時間がいくらあっても足りないことに気付いた。そして、設計者は「無関係な結果は無視する」ようにプログラムを付け加えたロボットCを作った。先ほどと同様な環境を整え、ロボットCをスタートさせるとまったく動かない。そこでロボットCに尋ねると、「これから自分がやろうとしていることに関係のないことを見つけて、それを無視することを考察中である。関係ないことは何千、何万とあるので・・・」といった。その間に部屋がまた爆発してしまったのである。
このロボットが悩ましたのがフレーム問題である。従来のロボットと人間の違いはフレームを理解できるかという点である。
フレーム問題が発生する原因のひとつは、環境を完全に表現しつくした知識表象を作り上げてから、それを行為をガイドする地図として利用するという、モデル化の方法が悪いからだと考えられる。しかし、この考え方(知覚理論)はデカルトから受け継がれて、300年以上も(伝統的に)常識としてされていた。
デカルト以来の伝統的な知覚理論の多くは、知覚の説明の大部分をこころの働きにゆだねながらも、知覚の原因としての感覚刺激の役割の重要性は一致して認めていた。簡単にいえば、「感覚刺激→知覚」という一方向の因果的繋がりがあるという仮説である。これを恒常性仮説という。この恒常性嘉悦ではフレーム問題が解決されないので、恒常性仮説は崩壊する。
デカルトはヨハネス・ケプラーの理論(コピー説と呼ばれる)と対比させて作り上げた。
まず、コピー説について言及する。コピー説を簡単に表現すれば眼をカメラのように外界の広がりのあるイメージを網膜に結像するための装置と考えた。例えば、眼が円を見れば、網膜にも円が見えるというものである。
しかし、デカルトは生物学的実験の結果、網膜像は必ずしも対象の正確なコピーではないという点を発見した。例えば、眼が円を見れば、網膜には円がゆがんだ楕円形が見えるというものである。さらに、コピー説では説明できない小人理論をうまく回避できるという点もある。ちなみに、小人理論とは「小人の網膜に映った像を見る、小人の頭の中にいる小人の網膜に映った像を見る、・・・」というように続けると無限に続いてしまうということである。
フレーム問題の解決のアプローチには次が考えられます。