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*井原西鶴 [#t458813a]

-寛永19年(1642年)に大坂の裕福な町人の子として生まれた。
-若くして[[俳諧]]を学び、21歳で俳諧の点者となる。
-34歳のときに妻が死亡。追善の独吟【どくぎん】千句を詠み、剃髪して家を離れる。
-当時43歳の西鶴は一日一昼夜独吟23,500句を興行。
--二万翁【おうな】と号した。
-俳諧の主流は蕉風【しょうふう】に移っており、[[『好色一代男』]]などの転合書に手を染めていた西鶴はこれを堺に俳諧から離れる。
-元禄元年(1688年)正月に、西鶴は町人物の第一作『日本永代蔵』を出版。
--町人の経済生活を多様に書き分けて見せた。
-元禄元年に西鶴は、一時期西鵬と名を改めたことがある。
--なぜならば、[[徳川綱吉]]の長女鶴姫の婚礼により、幕府が鶴の字および鶴の紋の使用を禁じたからである。
-元禄5年正月に、「大晦日は一日千金」と傍題した『世間旨算用』を出版。
--年末の一日をどう過ごしたのか、町人の悲喜こもごもを20篇の短編に描き出して、「哀れにも又おかし」と見つめる、人間観察の深いドラマを構築した。
-元禄6年(1693年)8月10日に没する。享年52歳。


*参考文献 [#za7a3e8f]

-『マンガ日本の歴史32 忠臣蔵と生類憐み』