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  • サルトル へ行く。

*目次 [#v9ee1d97]

#contents


*サルトル [#lf85c3fb]

-ジャン・ポール・サルトル
-フランスのパリ生まれ。
-深夜にウイスキーのオンザロックを好んで飲んだ。
-シュールレアリストではないが、それから多大の影響を受けた。『嘔吐』のなかの有名なエピソードとして、浜辺の石を足でひっくり返すと、隠れた部分の思いもかけぬ醜悪さに吐き気をもよおす場面がある。


*サルトルの根本思想 [#vfa0179a]

**「人間は、本質に先立つ実存だからである」 [#o82ea057]

 例えば、ペーパーナイフは髪を切る道具としての本質が最初にあり、そこからペーパーナイフは金属などでペーパーナイフとして作られ(発明され)、事実的に物となってからもペーパーナイフという本質を現しながら存在します。一方、人間は(人間だという)本質という設計図が存在するよりも前に、人間として現実に存在(実存)しているとサルトルは主張します。つまり、人間はモノとは異なり、存在が最初だと言っているわけだ。

 「神が人間を創造したら、本質が先にあって生まれるのではないか」という反論に対して、サルトルはこう答えます。もし、神によって人間の本質があらかじめ決まっていると仮定する。そして、神はその本質に沿って人間を創造したとする。それでもなお人間は自動的に本質を沿って行動するわけではありません。この世の中に投げ出された瞬間から、自分の行動によて、人間は人間であることを実現していくだけである。人間はこうあるべきだという本質のようなものがプログラミングされていたとしても、それを現実のものにするのは、その人間自身の行動である。よって、人間を人間たらしめるのは行動であり、プログラミングされている本質は関係ないのだ。

 ゆえに、神によってプログラミングされようがいまいが、人間が人間であることには全く関係がないということになる。

**「人間は自由である」「人間は自由であるように呪われている」 [#s6d6fa84]

 サルトルが言うには、人間は何かから自由になるのではなく、元々自由であること以外の存在の仕方を選べないのである。つまり、人間は、自由であるより他のあり方をもってないということである。

**アンガジュマン [#n874f996]

 絶えず実存でありつづける人間は、絶えず行動の選択を強いられている存在ということである。つまり、状況の中で行動の選択をするように、拘束(アンガジュマン)されている存在が人間なのだ。

**人間は対自存在である [#z5f7a180]

 「対自」とは、「自らに対している」という意味です。人間は自分に対してさえも意識することができるから、「人間は対自存在である」ということだ。

 この対自に対照的なものが、即自です。即自とは自分を意識しないことである。よって、モノは即自である。

**人が意識するということ [#heac70f9]

 人が何かを意識するということは、その何かを外に置くということである。何かが内部にあれば、意識されないからである。例えば、何かモノを見る時、自分の眼球を意識しません。眼球は自分の内部にあるからである。

 人間は認識されるものとして存在するのではなく、認識される即自(モノ)によってのみ認識できる。

*参考文献 [#q0b94b6c]

-『この一冊で「哲学」が分かる!』(三笠書房)
-『名画はなぜ心を打つか 感性にひそむ論理を探る』(講談社ブルーバックス)