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*歌川広重 [#i2c20ffb]

-広重の絵は必ずしもすべて文字通りの写生によって写したものばかりではないことがわかっている。
--『東海道五十三次』の中には、1797年に刊行された『東海道名所図会』などを参考にしている絵もある。
-広重が風景画と同じくらい得意にしていたのが花鳥画【かちょうが】である。
--花鳥画とは、[[木]]や[[草花]]、[[鳥]]や[[虫]]などを対象として描いていたものである。
--元は[[中国]]で発達して、日本へは室町時代以降に伝わり、屏風や壁画、ふすま絵などとして描かれていた。
--江戸時代半ば頃には、自然を科学的に観察し記録しようとする目的から、写実的な花鳥画も描かれるようになった。
-広重は当時流行っていた[[コレラ]]にかかったとも伝えられていたが、後に弟子の三代広重が「下痢もせずに吐くこともなく、ぶらぶらしていた」と語っていることから、死因は他にあったと考えられる。
-『歌川列伝』には、広重は「侠気【きょうき】ありてしかも活発」と記されている。
-広重は話好きで、困っている人には積極的に手を差し伸べてきたそうである。
-とても話好きだったといわれている。
--ただし、恰好を気にする気障な人は大嫌いだったといわれる。
-酒が好きで、旅が好きであった。
--ふらっと出かけてしまうため、妻のお安は借金に追われていたという。
-広重は物事にこだわらないおだやかな性格であったが、仕事となると、大変几帳面で誠実であったといわれる。

*参考文献 [#hb808636]

-『徹底大研究 日本歴史人物シリーズ13 歌川広重』