• 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
  • 強迫 へ行く。

*目次 [#k04389d5]

#contents


*強迫者 [#l585a439]

・[[自信欠乏者]]の亜種で、強迫観念や確認癖・せんさく癖などを抱きやすい人々。 
・[[自信欠乏者:http://akademeia.info/index.php?%BC%AB%BF%AE%B7%E7%CB%B3#hc0dedc4]]の亜種で、強迫観念や確認癖・せんさく癖などを抱きやすい人々。 

・強迫とは、本人の観念(強迫観念)や行為(強迫行為)が、自分にとって無縁で無意味であるとわかっていて、「それ」に悩まされることを異常と認め、気にすまい、考えまい、行うまいと努力するにもかかわらず、そうすればするほどかえって心に強く刻まれてしまう状態のことである。「それ」を止めると著しい不安が起きるため、「それ」にとらわれ、そうせざるを得ない状態に陥る。 

・強迫は人間存在に不可欠のものである。我々は不安定で不確かな世界(環境)にきわめて「人間的」に対応すべく、人間存在の根本的条件として知性や創造性を持っているが、実はその知性や創造性こそが強迫を発生させる主要な原因であるという矛盾の下にいる。 

・強迫はその圧倒的な拘束力のため、非合理の悩みというより、抵抗し、生活の時間が奪われ妨害されるという意識のほうが強いため、''自我異和性''と呼ばれる。

・彼らは超自我が強く、倫理観や規範意識が普通の人以上に強いので、犯罪に関係することが少ない。それでも、これらの人はときに「自分が人を殺してしまうのではないか」とか、「重罪を犯してしまいそうだ」という強迫観念(強迫衝動)に悩むことがある。しかし、この強迫衝動が現実の行動として遂行されることはない。もっとも、他のタイプの精神病質者や分裂病者がこの種の強迫衝動に悩むこともあり、自我の構造がしっかりしていないケースでは、実際に行動に移されることがないでもない。 

・前頭葉機能は強迫病や鬱病だけでなく、精神分裂病、人格障害などの広い疾患と関係している。

・京都大学の浜垣誠司は、過食の用いて、強迫と解離の現象を解説している。元来過食は、食事を完全にコントロールしようとする試みから由来するが、現実にはコントロールの対極に陥ってしまう病気である。 

 ヤスパースは「過食とは衝動的行為である」とした。いらいらしていると家にあったお菓子を食べ始める。ところがそれが止まらなくなり、何をいくら買ってどのくらい食べたかわからず、レシートをみてやっと気が付く、そして後悔するというパターンを繰り返している。食べ始めは満足解放感という自我親和性があり、そのうち食べること、口に運ぶ動作だけで何を食べているかわからず夢中で食べ、何も考えていない。上の空である。そして気が付くと後悔という自我異和性を残す。このうわの空のときは満足感や苦しさは自覚されない。つまり、自分であって自分ではない、一種の自我のスプリッティング(分裂)である。中には、「食物を前にすると悪魔が私の中に出る」、「ワーッと迫ってくる感じに自分を失ってしまう」という人も多い。 

・強迫には「笑い」がない。例え寂しげな微笑でも出たら、治療者の対応は第一歩の成功である。

*憑依と憑着 [#r49c83b1]

 13世紀のカトリック神学では「霊が憑く」という現象を憑依(possesion:ポゼション)と憑着(obsession:オブセション)の2つの概念(両者は連続している)で説明している。 

 これを解説したカルディクの憑依論がある。「霊が憑く」憑依とはひとつの肉体に2つの霊が住み着き、悪霊の存在を予測させるものの、悪霊に該当する物は存在しないし、第一2つの霊がひとつの肉体に共に住み着くこともありえないので、憑依という現象は存在しない。「憑依される」というのは、本人の霊が他の未発達な霊に支配され、麻痺している状態を指している。 

 一方、憑着とは人の心を混乱させたり、俗事とからまっている心霊が、人の思想や行動に与える影響のことである。カルディクはそれを3つのカテゴリーに分けている。

-単純に霊がとりつくこと 
-うっとりして霊に感応(トランス)した状態 
-完全に霊に服従した状態 

 カトリックでは、突然意識が喪失して憑いた霊が第一人称で語り、意識が戻った後でも乗り移った他者が何かを語り、何をしたかの記憶のないものを憑依としている。そして、絶えず自我を意識していて、自分自身の霊と戦っている他の憑いた霊を感じているが、その異霊を沈黙させることのできないものを憑着としている。