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  • 寺子屋 へ行く。

*目次 [#feee2874]

#contents


*寺子屋 [#o913a77f]

-江戸庶民の教育の場の代表。
-寺子屋の教育内容は、一般に「読み・書き・そろばん」といわれていた。
--しかし、すべての寺子屋がその3つをバランスよく指導していたとは限らない。ほとんどが読み・書き(これを手習いという)が中心であった。
--「読み・書き」は社会生活の第一歩でもあり、文字の習得は寺子屋における大きなテーマのひとつであった。
-寺子屋が普及し始めるのは17世紀末であるが、そろばんが庶民の計算手段として定着したのは17世紀中頃〜末頃とみられる。元禄時代になると、商人にとっては[[そろばん]]は手放せないものとなっていた。
-読み書きは「いろは」の声から始まった。この47文字を声に出して、お手本を見ながら筆を走らせて、一文字ずつ覚えていったのである。
--ただし、書いて覚える文字の種類は現代の47文字より多かった。今のひらがなは「あ」ならこの一文字しかない。これは「安」を崩した文字であるが、江戸時代には「阿」や「悪」などの文字から生まれた「あ」も同等に扱っていたのである。こうしたバリエーションを今では''変体仮名【へんたいがな】''と呼ぶ。当時は変体仮名が豊富にあり、寺子屋ではたくさんの変体仮名を習得する必要があったのである。
--覚えるときは「いろは」順にこだわらず、身近なところから言葉を増やすように指導していた。
-江戸時代の[[往来物]]【おうらいもの】(教科書のこと)には、寓話タイプの昔話がよく紹介されていた。
--物語文であるが、社会性のある教訓も織り込まれていた。
-読み書きの知識は算盤にも不可欠であった。今でいう文章問題の形が多く、出題の意図を読み解くことが必要だったからである。つまり、国語と算数の総合力が問われていたといえる。
-女の子の場合、江戸時代後期にもなると、寺子屋だけでなく習い事に通うケースも増えた。
--その代表が[[三味線]]である。
-寺子屋に通う子供たちを「寺子」【てらこ】、「手習い子」【てならいご】、「筆子」【ふでこ】と呼ぶ。
--それは学習する子供たちの象徴が「筆」であったからである。
-江戸時代の中期から後期にもなると、西洋の天文・地理の知識は幅広く普及していた。カーブした子午線(経線)を入れた世界地図も見慣れたものとなっていた。よって、寺子屋に通う子供たちも[[地球]]が球体であることを知っていたようである。
-歓請による[[菅原道真]]【すがわらのみちざね】の分霊が祀られていた。


*参考文献 [#d8eb5566]

-『子どもたちは象をどう量ったのか?』
-『岩波科学ライブラリー70 江戸の数学文化』