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  • 水俣病 へ行く。

*水俣病の歴史 [#v13adfb0]

-ドイツから輸入した技術によって1932年にチッソは水俣工場の[[アセトアルデヒド]]工程の操業を開始した。
--当時すでに[[ドイツ]]ではアセトアルデヒド工場の労働者にそれまでに経験していない有機水銀中毒が起こったと労働医学者の報告があった。
-逆に、原因物質として有機水銀が疑われたときのも、チッソ側は「無機水銀しか使用していない。有機水銀はチッソ工場とは無関係だ」と関係を否定し続けて、操業を続けた。
-チッソが水俣工場でのアセトアルデヒドの生産を止めた1968年になるまで、チッソは因果関係を否定し続けて、国もそうしたチッソを支えてきた。
-当時、工場敷地内や周辺地域などの企業の所有地には立ち入ることができなかった。
--夜陰に紛れて船で身の危険を冒して、動かぬ証拠を得るために、証拠を採集しなければならなかったのである。
-日本版PRTR制度は報告が通産省などの所轄省庁にしかなされなかった。環境省には主務官庁を通して、必要と認める場合にはまとめてしか開示しない制度なのである。つまり、企業と主務官庁との間でのみ情報を共有してもたれあう関係にあり、結果として水俣病の拡大に日本政府も加担していたということである。


*参考文献 [#r80eace0]

-『くらしの中の化学物質』