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トラベルビーの看護理論

2021年3月14日

トラベルビーの看護理論

  • トラベルビーの看護理論は、フランクルの実存分析を看護に適用したものである。
    • 人間の意味への意思を重視したフランクルの実存分析は、実存祝儀の影響もさることながら、解釈学の影響を強く受けている。

病の意味

我々の病気に対する態度

  • 我々の日常生活では、おおむね病(病気を病むこと)は「よくないこと」「困ったもの」でしかない。
    • 特に人並みの活動をしていこうとすると、病気はその活動を妨げるやっかいものでしかない。
    • つまり、人並みの世界(世間)では、病に不定的な評価(意味)しか持たない。

医療関係者の病気に対する態度

  • こうした事情は、医療関係者の世界においても変わらない。逆にもっと著しいともいえる。
    • 医療関係者は、夜勤などのきつい労働条件にあり、そうした労働条件では、病気はもっとも大きな障害となる。とりわけ看護婦の労働条件は劣悪である。
      • 妊娠しただけで婦長ににらまれそうな労働環境では、病気になるなどというのは「不節制」あるいは「たるんでいる」ということになりかねない。
  • 医療関係者の病気に対する態度は、患者の病気に対しても向けられている。病気というのは悪であり、医療関係者はその悪と戦っている。
    • 病気という悪と戦っている、いわばひとつの軍隊のようなものなのである。
  • 病気に対する態度は、病気に対してだけでなく、時にはその病気を病んでいる患者に対しても向けられている。
  • 看護婦も丈夫で病気知らずのベテランか、看護学校を出たばかりの若い子で、体の弱った病人に対して共感する気はあっても、共感するための下地となる病や体力の衰えといった経験がない。
  • 医療関係者には、病は悪いものであり、一刻も早く治癒するべきものであるという姿勢が蔓延している。
    • これは健康第一主義ともいえる。
    • ペプロウはこうした姿勢を治癒志向的な構えと呼んだ。

日常世界における看護士と患者の出会い

  • 一般人が病気になって患者となり、医療関係者の世界に入ってくる。この時初めて、一般人と医療関係者は本格的に交渉を持つことになる。
  • 医師は患者という人間をあまり見つめることはない。
    • 医師にとって患者とは「~という病気」を持っている人になりがちだからである。いわば極端な話、患者とは疾患に付随した人間なのである。
  • 看護士も医師と大差はない。
    • 患者は病棟のベットの位置と疾患名で把握される(「~病棟の~病の○○さん」)。
    • 「患者とは病気を病む(健康問題を抱えた)一個の人間である」という看護診断の原則はまだ十分に浸透していない。
  • よって、医療関係者と患者は、治療や看護をしてやる(能動的)人間と、それをしてもらう(受動的な)人間として出会いがちである。
    • 特に、医学の場合は、医師は能動的な主体であり、患者は治療(研究)の対象(材料)、受動的な客体とされがちである。

病の意味の模索

  • 公衆衛生と臨床医学の進展の結果、現在では医療の焦点は急性疾患から慢性疾患へと移りつつある。
    • 一時的な病気から回復するのではなく、死ぬまでその病気を抱えながら生きていくというのが、今日の私たちと病気との関わりあいの一般的な姿になりつつある。
  • 病は、ゆるやかではあるが、確実に死へと繋がっていることを意識させる。
    • 他の誰でもない、今ここにいる私自身が病んでいるのであり、そして他の誰のでもない、私自身の死へと向かっていく。
  • こうした状況では、病(および死)に対して、これまでのような単なる否定的な評価(意味づけ)をしているだけでは、人間は生きてはいけない。人は自分の病とそれに繋がる死に対して、何か肯定的な意味を見出そうと模索する。
  • フランクルは、人間は「意味への意思」を持つと主張した。
    • 病に苦しむ人間は、まさにこの病の持つ意味を求める、そうした意思を持つ存在なのである。
    • 個の意味の模索は同時に、患者はそれまでの人並みに生きている人間(世人)から、かけがえのない自分というものを生きている人間へと転身していくことを意味する。

看護士の病への意味付け

  • 患者が人並みに生きようとする世人から、かけがえのない自分へと転身していくのに対して、それを看護する看護士もまた単に役割を遂行する人から、かけがえのない自分の人生を生きようとする人間として、患者に対面しなくてはいけない。
  • 看護者の病への肯定的な意味付けに促され、患者もまた自分を苦しめている病に対して、何らかの肯定的な意味を見出していくのが望ましい。
    • しかし、それはあくまで患者自身が自分で見出す必要がある。
    • そのため、病にどのような意味があるのかについて、トラベルビーは著書の中で述べようとしていない。
病の意味(評価)看護士と病人との関係
人並みの世界否定的意味(評価)・看護士と患者の役割関係
・主体と客体の関係
実存の世界積極的意味(評価)・人間と人間の関係
・「我と汝」の関係

看護士と患者の関係から、人間と人間の関係への過程

「看護士と患者が、日常的世界で役割を演じる人(世人)として出会う関係から、人間として対面する関係へと移行する」という過程を、トラベルビーは次のような段階であるとした。

  1. 最初の出会い
  2. 同一性(アイデンティティ)の出現
    • 両者の間で同じものが生まれてくること。
  3. 感情移入(empathy)
  4. 同情(sympathy)
    • “sympathy"の語源は「共に苦しむこと」。
  5. 打てば響くような親密かな関係(rapport)

ペプロウの看護理論 vs. トラベルビーの看護理論

参考文献