悪書・良書を気にする必要はない
目次
多読において悪書は避けられない
読書界隈では一般に良書を選ぶのがよしとされます。そのためできる限り良書を選びたいと考えますが、実際にはうまくいきません。その理由として次が挙げられます。
- 一般に悪書・良書といわれている本が、あなたにとっても同じとは限らない。
- 「悪書=相性が悪い本」「良書=相性がよい本」ではない。
一般に悪書・良書といわれている本が、あなたにとっても同じとは限らない
他人が悪書・良書と判断しても、読者であるあなたにそれが当てはまるとはいいきれません。読了後にすごくよいと感じた本をネットで調べてみたら、酷評されているというケースに出会ったことがあるかもしれません。
「悪書=相性が悪い本」「良書=相性がよい本」ではない
とても評価の高い古典的な良書があったとします。モチベーションを最大限に上げてその本に挑戦した結果、内容が難しすぎたり、表現が気に入らなかったりすることがあるかもしれません。「(一般的な)良書≠(あなたにとっての相性がよい本)」という構図が成り立ったわけです。
悪書と上手に付き合う
以上より、悪書・良書を気にする必要はありません。世の中に数えきれないほどのIT技術書があります。読書を続けていけば、あなたにとっての悪書(あるいは相性が悪い本)との出会いから避けられません。そのため、悪書と出合ったときにどう向き合うのかが重要なのです。
悪書との向き合い方
今の自分に合わないと判断して、流し読みで通読したり、すぐ別の本に切り替えたりするのも手です。また、当然ながら真っ向から挑戦するのもよいでしょう。どんな悪書であっても、1冊を通して何か得られるものが少なくとも1つはあるはずです。例えばインチキ科学やカルト的な悪書であれば、詐欺的手法を貪欲に吸収してしまうのです。
もっとも避けるべき選択肢は読書そのものを止めてしまうことです。悪書の存在を否定する暇はありません。いくら否定しても悪書はなくなりませんし、立場によって考え方が違うのです。
どんどん読書を続け、良書と悪書と上手に付き合うようにしてください。