基本アイデアは「人間は、自分で自分の世話をすることができる。病気や怪我で自分の世話をすることができなくなったとき、代わりに世話をするのが看護である」というものである。「自分で自分の世話をする」ことをセルフケア(self care)という。
しかし、人間は多かれ少なかれ人の助けを借りて生きている。特に子供のときや晩のときはそうである。しかし、子供や老人は普通看護士の手を借りるのではなく、家族などの周りの人に世話をしてもらっている。そこで最初のアイデアは次のように変形される。
「人々は、自分たちで自分たちの世話をすることができる。病気や怪我で自分たちで世話ができなくなったとき、代わりに世話をするのが看護である」
ヘンダーソンのニード論では、人間の欲を14の基本的欲求に分類した。そして、看護とは患者がこの14の基本的欲求を満たすように補助することである。普通の健康のときなら、人は自分の欲求を自分で満たすことができる。しかし、病気のときにはそれができない、あるいはやりづらい。そこで看護士がそれを助けるのだとヘンダーソンは考えたのである。
オレムはヘンダーソンの考えをセルフケアという概念でくくった。その際、オレムはセルフケア要件と呼んでいる。セルフケア要件にはいくつか種類がある。
普遍的セルフケア要件とは、誰もが持っている欲求のことである。普遍的セルフケア用件の内容とヘンダーソンの基本的欲求の内容はほとんど同じである。比較したものを次に示す。ただしインデントされている側が普遍的セルフケア要件である。
オレムの普遍的セルフケア要件には、ヘンダーソンの6〜8に対応するものがないが、ほとんど同じ内容を言い換えたものであることがわかる。
ヘンダーソンは患者の欲求は常に一定とは考えていなかった。「特定の個人が必要とする看護はその人の年齢、文化的背景、情緒のバランス、また患者の身体的・知力的な包容力の程度に左右させる」と述べている。そして「常時存在する条件で、基本的欲求に影響するもの」として、年齢、気質、社会的・文化的背景、生理的・意的程度を挙げている。さらに「病理的状態で、基本的欲求を変えるもの」として、水および電解質の平行の乱れ、急性酸素欠乏、ショック、意識障害、温熱環境、急性発熱、外傷、伝染性疾患、手術、絶対安静、疼痛を挙げている。
オレムはこうらをはっきりとした概念で定義した。それが「発達的セルフケア要件」と「健康逸脱に対するセルフケア要件」である。
ヘンダーソンが「常時存在する条件で、基本的欲求に影響するもの」として挙げたもののうち、特に年齢にオレムは注目した。そして、オレムは年齢つまり人間が発達していくにつれて変化するニーズを発達的セルフケア要件と呼んだ。
また、病理状態、つまり健康から逸脱した状態が、基本的欲求に影響するので、この健康からの逸脱がもたらす特殊なニードをオレムは健康逸脱に対するセルフケア要件と呼んだ。
オレム理論のセルフケアという概念に注目することで、看護はいつ患者を援助すべきかがよりはっきり見えてくる。
患者の持つニード(セルフケア要件)は、患者を治療するうえで、必ず満たさなければならないものとして現れる。これを治療的セルフケア・デマンドと呼ぶ。これは「普遍的セルフケア要件」と「発達的セルフケア要件」と「健康逸脱に対するセルフケア要件」の3つのニードを満たす必要を意味する。ただし、患者によって、「発達的セルフケア要件」と「健康逸脱に対するセルフケア要件」は異なることに注意しなければならない。
患者にはもちろん自分で自分のニードを満たす能力、即ちセルフケア能力も残っているはずである。しかし、満たさなければならないニードに対してこの能力が不十分であるとき、つまり患者が自分ではニードを満たしきれないとき(あるいはそう予想されるとき)に、看護が介入し援助すべきなのである。よって、セルフケアができなくなったときに看護が手を出すと捉えることができる。
看護介入には次のような問題があるが、上記のことよりそれぞれの問題に答えることができる。
以上のように、セルフケアという概念により、オレムは看護がいつ患者に手を出すのかについてはっきりさせることができた。また、セルフケアによって看護の方向性も見えてくる。
患者が自力でどのくらいセルフケアできる(自分のニードを満たせる)かによって、看護者の介入も変わってくる。
また、看護者が患者のセルフケアを代わって行う度合いによって、次のように看護システムを分類できる。