構造主義とは、一連の思想で繋がるような哲学思想ではなく、現代という複雑な時代を見極めるための比較方法論である。
動物は単に直接的な肉体的欲求に支配されて生産するだけに過ぎないが、人間は食べたり寝たりという直接的な生理的欲求を超えて、狩猟し、採取し、栽培し、交易し、産業を興し、階級を生み出し、国家を作る。それは人間が動物的な意味で生きていくためにはもとより不要のものである。人間がそのようなものを作り出す理由は、「作られたもの」が人間に向かって、自分が「何ものであるか」を教えてくれるからである。つまり、人間は「彼によって想像された世界の中で自己自身を直視する」のである(『経済学・哲学草稿』)。
この作り出す活動を一般に労働という。マルクスはこの労働を通じて自己規定という定式をヘーゲルから受け継いだ。
ヘーゲルによれば、「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけ」である。人間が自然的存在者以上のものであるのは、ただ「人為的対象を作り出した後」だけということになる。
ヘーゲルのいう自己意識とは、一旦自分のポジションから離れて、そのポジションを振り返るということである。自分自身のフレームワークから逃れ出て、想像的にしつらえた俯瞰【ふかん】的な視座から出ることができないので、ついに自己を対象的に直視することができないのである。
ヘーゲルもマルクスも、この自己自身からの乖離(=鳥瞰【ちょうかん】的視座へのテイクオフ)は、単なる観想(ひとりでアームチェアに座って沈思黙考すること)ではなく、生産(=労働)に身を投じることによって、他者とのかかわりの中に身を投じることによってのみ達成されると考えた。つまり、「労働するものだけが、「私は」という言葉を口にすることができる」ということになる。
主体性の期限は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義の一番根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方である。それは見たとおりヘーゲルとマルクスの思考から継承されたものである。
フロイトは心理学の目的を「自我は我が家の主人であるどころか、自分の心情生活の中で無意識に生起していることについては、わずかばかりの報告をたよりにしているに過ぎないのだということを実証」することであると書いてある(『精神分析入門』)。
マルクスは人間は自由に思考しているつもりで、実は階級的に思考しているということを看破した。一方、フロイトは人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破した。
この事実をもっともあざやかに示すのが、フロイトの分析した抑圧のメカニズムである。抑圧とは、ある心的過程を意識することが苦痛なので、それについて考えないようにすることである。私たちは生きている限り、必ず抑圧のメカニズムのうちに巻きこまれている。そして、ある心的過程から組織的に眼を逸らしていることを「知らないこと」が、私たちの「個性」や「人格」の形成に決定的な影響を及ぼす。つまり、私たちは自分が何ものであるかを熟知しており、その上で自由に考えたり、行動したり、欲望したりしているわけではないのである。人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないわけである。
時代が下るにつれて、人間的自由や主権性の範囲がどんどん狭くなっていく(それだけわかってきたという意味)のである。
ニーチェは、私たちにとって自明と思えることは、ある時代や地域に固有の偏見に他ならないということを主張した。
何よりもまず、過去にある時代における社会的感受性や身体感覚のようなものは、「いま」を基準にしては把握できない、過去や異邦の経験を内側から生きるためには、綿密で徹底的な資料的基礎付けと、大胆な想像力と伸びやかな知性が必要とされるという考え方がある。
この考え方は、後に「系譜学的」思考と名付けられることになり、ミシェル・フーコーによって受け継がれ、フーコーを経由して学術的方法として定着することになる。
レヴィ=ストロースによる人類学的調査が現在相対主義の起源と言われている。彼の調査で明らかにされたのは、これまで西欧の観察者にとって、野蛮な原住民たちの非合理的な行為や風習だと思われていたことが、実は合理的システムだったということだ。例えば、交叉イトコ婚という制度も、集団間における女性の交換システムと考えることで、理解できることがわかった。
このように、文化を評価する際には、絶対的な尺度はなく、それぞれの文化はそれぞれの価値基準を持っているというのが、文化相対主義だ。
文化相対主義が正しいとして、ひとつ課題がある。それは、異なった文化の人々の間でどのように交流し、理解しあうにはどうしたらよいのかということである。
これの解決はポスト構造主義に現れた。人間や理性、そしてその理性によって獲得されてきた真理などの概念が否定の対象となったのである。
さらに、クーンは科学史の研究から、各種パラダイムの間の交流は不可能(通約不可能)と述べた。例えば、天動説というパラダイムと地動説というパラダイムがあったとする。クーンによれば、天動説が正しい、地動説が正しいといった何が合理的かどうかは、各パラダイムの内部でもって判定できるのであり、パラダイムを越える客観的な基準は存在しないという。我々は天動説よりも地動説の方が優れている理論だと思うかもしれないが、クーンはそれは宗教的信念のようなもので、合理的な説明によるものではないとしている。こう考えると、パラダイムシフト(パラダイムの転換のこと)は、宗教的回心のようなものといえる。
しかしながら、新しいパラダイムが古いパラダイムの外で生まれるならば別として、新しいパラダイムが古いパラダイムを一種の踏み台のようにして発達してきた科学技術は通約不可能とは、私は思えない。つまり、新しいパラダイムにおいては古いパラダイムが理解できるということだ。数学用語でいえば、パラダイムシフトは、不可逆な関数のようなものといえると思う。
[補11]少なくとも(今のパラダイムに属している)人類にとって、天動説より地動説の方が天体の動きを観測する際に変数が少なくて済む。つまり、理論を明快・単純(簡単という意味ではない)にでき、エレガントだと感じている。科学者がエレガントだと思うことがパラダイムの選択に関連しているわけだ。
[補講2]物理や化学などといった現実世界を対象においた学問では、クーンのいうパラダイムシフトは発生するが、数学では基本的に演繹(場合によっては帰納)で証明されるわけでほとんどパラダイムシフトは起こらない(起こりにくい)。公理の再認識などがパラダイムシフトと呼ぶと仮定するならば、パラダイムシフトは存在することにはなる。
[補講3]ケプラーの地動説は俗に思われているようにニュートンに端を発する近代物理学の発端ではなくて、プトレマイオスの伝統を引き継いだ古典的天文学の最後の完成品である。
[呟き]昔は自画像(自己を描くということ)は神を描くこと同様にタブーとされており、美術史に自画像が現れるのに5000年かかった。これもパラダイムシフトの一種といえるのではないだろうか。ヨーロッパの美術史において、自画像が19世紀後半になってやっと描かれ始めた。自己であって自己で無いもの、ぎりぎりのところでそれとの内的関係を保持し、そこに可能な限り明確な同一性(アイデンティティ)を確率しようとする最後の意志から生まれたものこそが、自画像にほかならない。
フッサールは客観的に基礎づけられた理論内容を現象学的方法とした。この方法の基本は、伝統的なモノの見方をひっくり返すようなものである。ここでいう伝統的なモノの見方とは、この世界に自分がいて、周囲にある世界を自分が認識するものとしてみることである。昔のヨーロッパの考え方もそうであった。
これに対して、フッサールは『デカルト的省察』で次のようにいった。
「世界がこのように見えているのは、世界がこのようだからではない。世界がこのように見えているのは、認識している自分の意識によるものである」
レヴィ=ストロースは数多くの種族について研究(フィールドワークで調べた)し、次のような一般法則を発見した。
この婚姻法は、次のことがわかる。
実は、この婚姻法は、数学における置換や群の概念が変通自在であることを例証している。
この婚姻法の(2)と(3)はS(t),D(t)が置換であることを示しています。
そして、(4)の始めの部分は、全てのtに対してS(t)(D(t))はtと同じであること(この置換が恒等置換であること)、またはS(t)(D(t))がすべてのtに対してtとは異なっていること(完全置換であること)かのいずれかであることを示しています。
さらに、SとDから生成された群(もちろん恒等置換Iは除く)が、完全置換のみからできていて、この群は推移的(即ち、任意のtiとtjに対して、P(ti)=tjとなるような要素Pが必ず群の中に存在する)であるようにSとDが選ばれなければならないという結論が得られる。
例えば、タラウ族の社会における婚姻法では、S(t)≡tであるが、D(t)については次のように決められている。
これから次のようになる。
この置換群I、D、D2、D3から成るものであることがわかる。他の種族でも4つの結婚恩恵等がある。
価値のあるものだから交換されるのではなく、交換されるから価値があるのである。上記の数学的表現で言えば、要素が価値を持つから性質を持つのではなく、そのような性質を持つから価値をもつのであるといえる。
親族(婚姻交換)のあるところに、インセントタブーが存在する。女性は誰でも身近の男性とタブーで隔てられてしまい、交換される価値となる。この価値がどういうふうに人々の間で配分されるのか。そのやり方がまずいと社会は成り立たない。
レヴィ=ストロースによれば、女性の流通と再配分をコントロールするには2通りの作戦がありうるという。それは限定交換と一般交換である。
限定交換
一般交換
効果として次が挙げられる。
マウス以外の動物では近親交配を繰り返していくと、やがて生殖能力が低下して(これを近交退化と呼ぶ)、途中で子孫が途絶えてしまう。その原因は、近親交配が進むにつれて、致死に関連する複数の劣性遺伝子がホモ(対立する遺伝子が同じ)になるからだと考えられている。
ところが、クローン動物は、遺伝的に全く同じなので、近交系マウスよりもさらに理想的な実験動物といえる。
サルトルは「歴史」を極地の審級とみなす。それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、単線的な歴史プロセスのうえですべての人間的営みの正否を判定するということである。しかし、レヴィ=ストロースによれば、サルトルが「歴史」という「物差し」をあてがって、「歴史的に正しい決断をする人間」と「歴史的に誤りを犯す人間」を峻別しているのは、「メラネシアの野蛮人」が彼ら独自の「物差し」を使って、「自分たち」と「よそもの」を区別しているのと本質的にはまったく同じ振る舞いなのである。
レヴィ=ストロースは次のように断言する。
「サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見出される。それゆえに、サルトルには野生の思考を査定する資格はないと私たちには思われるのである。逆に、民俗学者にとって、サルトルの哲学は第一級の民族誌的資料である。私たちの時代の神話がどのようなものかを知りたければ、これを研究することが不可欠であるだろう」
この批判は戦後のあらゆる論争を勝ち続けた常勝のサルトルを一刀両断にした。傷ついたサルトルは、構造主義は「ブルジョワジーがマルクスに対抗して築いた最後のイデオロギー的障害」であると定型的な反論を試みた。サルトル主義者たちは領袖【りょうしゅう】に唱和して、構造主義はブルジョワ・テクノクラートの秘儀的学知であり、「腐敗した西欧社会」の象徴であり、構造主義を叩き潰す「自由の精神」は「ベトナムの稲田、南アフリカの原野、アンデスの高原」から「暴力の血路」を切り開いて西欧に押し寄せるだろうと予言した。
「歴史の名においてすべてを裁断する権力的・自己中心的な知」として実存主義は批判されたわけであるが、それに対してサルトルは「歴史の名において」死刑宣言を下すという無策をもって応じた。こうして実存主義の時代は唐突に終わったのである。
レヴィ=ストロースはオブジェの過剰を訴えた。これはフェティシズムの現代的な現象であり、神を失った人間が自らのうちなるコンプレックスと格闘した挙句、止む無く存在のよりどころとしなければならない唯一の仏性としてオブジェがあるという意味と解釈できる。
といっても、極度のオブジェ志向においても、眼の機能が全く無効になったわけでは
記号とは、ある社会集団が制度的に取り決めた「ある印が何かを意味すること」である。これが一番広義の定義であるが、「ある印が何かを意味する」場合には色々な水準がある。
例えば、「空いっぱいの黒雲」は「嵐」の「印」である。これはソシュールの記号の定義には含まれない。というのは、「空いっぱいの黒雲」と「嵐」の間には自然的な因果関係があるからである。これは人間の作った制度が介在する余地がない。そのため、記号とは区別されて、徴候(indice)と呼ばれる。
また、トイレの入り口には、紳士用であることを示す印として「スーツを着た人型の紺色のシルエット」が描いてある。この看板も「ある印が何かを意味する」ことには変わりがないが、記号ではない。これはそれを指示するものと、どんなにわずかであれ、何らかの現実的な連想で結ばれている。こうしたものは記号と区別されて、象徴(symbole)と呼ばれる。
記号は「印」と「意味」がセットになって初めて意味がある。また、「印」と「意味」の間には、いかなる自然的、内在的な関係もない。そこにあるのは、純然たる「意味するもの」と「意味されるもの」の機能的関係だけである。
例えば、みかんの皮を将棋の「歩」の変わりに使っても問題ない。「みかんの皮」と「歩」の間には、いかなる自然的、社会的な結びつきもない。このでたらめさが「記号」の本質なのである。
言語の指し示す対照が物質的な存在であるということや、言語は物理的な音声によって成り立つことは、もっともである。そこから、ついつい言語も物理現象であり、自然科学的な方法で研究できると考えてしまうかもしれない。しかしながら、それはソシュールの講義をまとめた『一般言語学講義』によると、どちらも間違いである。
ソシュールは『一般言語学講座』の冒頭において、先行する言語学史を3つの時期に分けた。
[補足]ソシュール自身は「比較言語学」を「比較文献学」、「文献学」を「比較文法」という名で呼んでいた。
「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥をかたちづくられたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それがその名となった。こうして、人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた」(『創世記』2:19〜20)
アダムの前に野の獣が連れてこられる。それを見て、アダムは「じゃ、これは牛、これは馬、これは犬」というように名前をつけていく。
こうして『創世記』に語られる言語観を名称目録的言語観と呼ぶ。つまり、言語の指示する対処が物質的な存在であるという説である。
しかし、これでは言語の如何によって対象の切り取り方が異なることの説明がつきません。世界のあり方は、言語と無関係ではなく、言語に依存してしまうということが重要である。よって、言語活動とは「すでに文節されたもの」に名を与えるのではなく、名前を付くことである観念が私たちの思考の中に存在するようになるのである。
例えば、水を湯と呼び、湯を水と呼んでも、呼び方が異なるわけで世界が変わるわけではありません。このような特徴をソシュールは言語の恣意性という。一方、毒薬のビンに貼るドクロの記号などのように、指示するものとの間に実質的なつながりがあるものを、有縁的という。
経験は、使用する言語によって非常に深く規定されている。身体経験のような、世界中誰の身にでも同じように起こるはずの物理的・生理的現象でさえ、言語のフレームワークを通過すると、様相を一変させてしまうのである。
例えば、英語では、根を詰めて仕事をすることを「重荷を背中に背負う」(carry a burden on one's back)といい、熱心に働くことを「背中を折る」(break one's back)という。英語話者は仕事のストレスを肩ではなく、背中(back)に感じ取っているのである。つまり、「肩が凝る」という身体的生理的現象は、日本語を使う人の身体にしか生じないわけである。
言語が物理音から成り立っていることは当たり前のように思えますが、そうは単純ではない。例えば、日本語では/r/と/l/の区別は問題にはならないが、英語ではこれを区別する。大切なのは、音そのものではなく、音に中にある区別なのだ。音だけで区別がなかったのでは、そもそも言語の成り立ちようがない。
区別の立て方自体は、恣意的である。言語には、区別に先立つ区別などない。
あるものの性質や意味や機能は、そのものがそれを含むネットワーク、あるいはシステムの中でそれがどんなポジションを占めているかによって事後的に決定されるものであって、そのもの自体のうちに生得的にあるいは本質的に何らかの性質や意味が内在しているわkではない。これは別にソシュールの創見というわけではない。古典派経済学はすでに商品の価値と有用性が別物であることを熟知していた。
例:ボートの「有用性」は「水に浮く」ということであるが、その「価値」は状況によって変化する。タイタニック号沈没間際の救命ボートと不忍池のボートでは、「同じ有用性」を持つボートでもおのずと「価値」は異なる。
岩井克人は『貨幣論』で次のように述べている。
「商品の価値とは必然的に価値体系の中でのひとつの価値に過ぎず、ひとつの市場の需給関係が変化すれば、それは同時にすべての商品の価値を変化させてしまうことになる」
この経済学の知見はソシュールの「価値」という用語法に直接影響している。
しかし、ソシュールは、私たちが言葉を用いる限り、そのつど自分の属する言語共同体の価値観を承認し、強化しているということをはっきりと述べた。
私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名付けているものは、極論すれば言語を運用した結果、事後的に得られた言語記号の効果だとさえいえるかもしれない。
もちろんこのような言葉の力については、古代から繰り返し指摘されてきた。詩人に霊感を吹き込む「詩神」や、ソクラテスの「ダイモン」は、まさに「言葉を語っているときに、私の中で語っているものは私ではない」という言語運用の本質を直観したものである。私が言葉を語っているのは、厳密にいえば「私」そのものではなく、習得した言語規則であり、身に付けた語彙であり、聞きなれた言い回しなわけである。
どうにも足元のおぼつかない「私のアイデンティティ」や「自分の心の中にある思い」を、西洋の世界は久しく「自我」とか「コゴト」とか「意識」とか名付けて、それを世界経験の中枢に据えてきた。すべては「私」という主体を中心に回っており、経験とは「私」が外部に出かけて、色々なデータを取り集めることであり、表現とは「私」が自分の内部に蔵した「思い」をあれこれの媒体を経由して表出することであるとしたのだ。このような考え方は今だ根強く残っている。これを自我中心主義(egocentrisme)と呼ぶ。
先ほどの将棋の例のように、ソシュールは「みかんの皮」のような人為的に作られた「印」を意味するものとしてシニフィアン、「将棋の歩の働き」を意味されるものとしてシニフィエと呼んだ。
個々の言葉には2つの側面がある。つまり、記号とはシニフィアン、シニフィエのセットなわけである。この2つの側面は、密接に不可分に結びついている。ソシュールの考えは次の公式で言い表せる。
記号(シーニュ)=シニフィアン+シニフィエ
私たちの思考や経験の様式は、言語に多く依存している。よって、用いる言語が異なれば、それに応じて思考や経験の様式も変わる。私たちはそれと気付かぬうちに、ある「不可視の規則」にしたがって言語を運用している。バルトはこの「不可視の規則」に2種類あると考えた。それがラングとスティルである。
ラングが「外側からの」規制であり、スティルは「内側からの」規制である。
言葉づかいを規制しているのは、ラングとスティルの2つだけではない。バルトはこの他に第三の規制を発見する。それがエクリチュール(ecriture)である。
ラングにせよ、スティルにせよ、我々はそれを選ぶことはできない。しかし、ある国語の内部に生まれ、ある生得的な言語感覚を刻印されたとしても、それでもない言葉を使うときにある種の言葉づかいを選択することが許される。この言葉づかいがエクリチュールである。
スティルは個人的な好みであるが、エクリチュールは集団的に選択され実践される好みである。エクリチュールとスティルは異なることがわかる。バルトは、「エクリチュールとは、書き手がおのれの語法の「自然」を位置付けるべき社会的場を選び取ることである」と述べている。
例:中学生の男子が、ある日思い立って、一人称を「僕」から「俺」に選択したとする。
この語り口の変更は彼が自主的に行ったものである。しかし、選ばれた語り口そのものは、少年の発明でなく、ある社会集団がすでに集合的に採用しているものである。それを少年はまるごと借り受けることになる。
この「僕」から「俺」への人称の変化はそこにとどまらず、たちまち彼の言葉づかいの全域に影響を及ぼす。発声や語彙もイントネーションも字体も、皆変化する。それどころか、髪型、服装、嗜好品、生活習慣、身体運用にいたるまで、少年は「俺」という一人称に相応しいものに統制する無形の圧力を感じずにはいられない。
ここで注意して欲しいのは、シーニュありきで、2つの側面に分解されるということである。シニフィアン、シニフィエの2つの側面があって、その合計がシーニュであるというのとは違うのである。つまり、シニフィアンとシニフィエは結びつきをとかれたとたんに、どちらも空中に掻き消えてしまうのだ。
ここでも、差異(の対立)のシステムが現れていることがわかる。簡単に言えば、事実が何であるかという意味を決定する標識は事実そのものではなく、「他のものがそうではない」という「差異」によって決定されるということである。概念と対象が一致するかどうかで重要に成るのは、単にこの区別、この差異だけなのだ。
プラトンのイデア論と比較すると、ソシュールのシニフィアン(言葉が意味しているもの)とシニフィエ(言葉によって意味されるもの)は、それぞれ頭の中のリンゴ(イデア)と机の上にある本当のリンゴに対応する。
習得した言葉の同一性は、根拠がないにもかかわらず、ひとたび習得されれば、今度は逆にその個人の思考様相や発話を縛る。このように個人を縛る、ある言語に特有の規則をソシュールはラングと呼んだ。ラングに対して、ラングに準拠して個人が発する発話をパロールと呼ぶ。つまり、ラングとは言語の諸規則(文法、用法、単語の意味など)、パロールとはラングが具体化した発話行為あるいは文章の記述のことである。
ラングはそれ自身は無根拠(恣意的)であるにもかかわらず、パロールに対してはあたかも大いなる根拠のごとく振舞う。
人は母国語の文法(ラング)を習って、それに沿った形でしゃべったり書いたり(パロール)する。
「ラングには差異、実定的(ポジティブ)な辞項のない差異しかない」
このような差異の体系は、語彙の集合モデルと考えられやすいが、それらは文法的、統語的(=構文的)な関係におかれても何ら変ることができない。このような差異は2方向に実現される。
原文と弟子たちが編纂した『一般言語学講義』を比較すると意外なことがわかる。ソシュールの一般言語学の講義の第1回目は「実際的な方法による進化言語学」(比較言語学から始まる)、第2回目は原理的な前提が必要とされ、やや唐突な理論の深化に傾き、第3回目は均衡が取れ始めた。バイイとセシュエは第3回目の講義を骨格として、第1回目と第2回目のよいところを取って、ミックス状態にしたのが、有名な『一般言語学講義』である。
イタリアのソシュール研究家ジュリオ・レプスキーやトゥリオ・デ・マウロはこの編纂されて整理された『講義』のテクストを「普及版のテクスト」と称し区別している。我々もこれに習おう。当サイトでは「(普及版の)『一般言語学講義』」と表記することにする。
(普及版の)『一般言語学講義』はモザイク状のテクストであり、ソシュールの苦悩がわからないが、この本のおかげで、時代の創造性に繋がったのは事実である。
音韻論(音素論)とは、言語として発された音声はあるラングの中でどのようにして他の言語音と識別されるのか、その言語音の差別化のメカニズムを研究する学問である。
例1:日本語では[r]と[l]の音は区別しないで使われる。どちらの子音を使って発音しても「ラーメン」を頼めば、同じ物が出てくる。しかし、逆に英語ではこの2つを示唆的に使われるので、「ライス」を頼むと「シラミ」を食べさせられる可能性があるわけだ。
日本人であって、[r]と[l]が物理音としては別の音であることは、何度も聴かされればわかる。しかし、日本語ではこれを区別しないという約束があるせいで、その違いを聴き取り、記憶し、再生することは日本語話者は少なからぬ困難を覚える。
例2:フランス語には口腔母音が12つ、鼻母音が4つある。ところが、この母音のうちのいくつかは最近の若いフランス人にはもう聴き分けも再生もできなくなり、すでにいくつかの母音は消滅してしまった。母音の聴き分けが面倒だと言い出す人たちが増えれば、取り決めはあっさり改訂されてしまうのである。
このように、言語音の持つ物理学的・生理学的な性質のうち、どの示差的特徴が有意であり、どの特徴が無視されるかは、それぞれの言語集団内での取り決めに基づいている。
音の連続体から恣意的に切り取られて、集合的な同意に基づいて同音とみなされている言語音の単位を音素(phoneme)と呼ぶ。言語音は発生期間によって発振する空気振動というアナログなマテリアルである。
この塊に分節線を入れるやり方は理論上無限にある。事実、生後間もない子どもは成人には発し得ないような非分節的な音声をいくらでも発声できる。
しかし、世界中の言語の比較と子どもの言語習得プロセスの研究から言語学者は意外な事実を発見した。それは人間が言語音として使用している音素のカタログは想像しているよりもはるかに小ぢんまりしたものであるということである。ある言語音について、それが「母音か子音か」、「鼻音か非鼻音か」、「集約か拡散か」、「急激か連続か」、…など12種類の音響的・発声的な問いを重ねると、世界中のすべての言語に含まれている音素はカタログ化できるのである。
2進数は、情報量の最小単位である1ビットは0と1という1組の二項対立によって、2つの状態を示す。このように二項対立の組み合わせをいくつか重ねてゆくと膨大な量の情報を表現できるのだ。
世界中の言語は12種類の音響的・発声的な問いでカタログ化できるわけなので、12つの二項対立で表現できるわけである。つまり、12ビット、即ち12回の0と1の選択なので、4,096通り(=212)で構成されるのである。よって、ヤコブーソンは音素を弁別特性の束と考えて、音素の対立は二項対立の組み合わせで表現できるとした。
レヴィ=ストロースはさらに大胆に、この音声論における二項対立の理論を親族関係にまで当てはめてしまったのである。
「今」「ここ」「私」を歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点とみなす考えをフーコーは人間主義(humanisme)と呼ぶ。これは自我中心主義の一種である。フーコーはこの人間主義的な進歩史観に異を唱えた。
フーコーはそれまでの歴史化が決して立てなかった問いを発する。それは「これらの出来事はどのように語られてきたか?」ではなく、「これらの出来事はどのように語らずにきたか?」というものである。なぜ、ある種の出来事は選択的に抑圧され、黙秘され、隠蔽されるのか、なぜ、ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのかということである。
その答えを知るためには、出来事が「生成した」歴史上のその時点(出来事の零度)にまで遡って考察しなければならない。考察しつつある当の主体であるフーコー自信の「今」「ここ」「私」を括弧に入れて、歴史的事象そのものにまっすぐ向き合うという知的禁欲を自らに課さなければならない。そのような学術的アプローチを、フーコーはニーチェの系譜学的思考から継承した。
フーコーは、歴史を「生成の現場」にまで遡ることで、「常識」をいくつも覆してきた。フーコーが覆した「常識」のうちで一番衝撃的なものは、おそらく精神疾病における「健常と異常」の境界の概念だろう。フーコーはその最初の学術的主題に「狂気」を選んだ。ドッスの『構造主義の世界』にはこのフーコーが選んだ「狂気」について書かれている。
「歴史から排除され、理性から忘れ去られたもの―狂気―に語る機会を提供すること」
フーコーは、『狂気の歴史』において、正気と狂気が「科学的な用語」を用いて厳密に分離可能であるという考え方は、実は近代になって初めて採用されたものだという驚くべき事実を指摘した。
17世紀のヨーロッパをフーコーは大監禁時代と呼んでいる。それはこの時代になって、近代社会は「人間」標準になじまないすべてのもの、例えば精神病者、奇形、浮浪者、失業者、乞食、貧民などの様々な非標準的な個体を強制的に排除、隔離するようになるからである。標準化は時代が下るにつれてますます過激化し、近代ヨーロッパの「監禁施設」には、自由思想家、性的倒錯者、無神論者、呪術師からついには浪費家にいたるまで、およそ「標準から逸脱する」あらゆるタイプの人間たちが収監されるようになる。
狂人は「別世界」からの「客人」であるときには共同体に歓待され、「この世界の市民」に数えられると同時に共同体から排除されたのである。つまり、狂人の排除はそれが「なんだかよくわからないもの」であるからなされたのではなく、「なんであるかがわかった」からなされたのである。狂人は理解され、命名され、分類され、そして排除されたのである。狂気を排除したのは「理性」なのである。こうして狂人の組織的「排除」が進行するに従い、狂気の認定者も変わる。誰が狂人であるかを決定する権利が「司法」から「医療」に移行するのである。
17世紀において、狂人の「囲い込み」を決定するのは司法官であった。「反社会性」において狂人は貧者や窮民と「同格」だったのである。ところが、18世紀になると、ここに新たな境界線が引かれる。狂人だけが別カテゴリーになるのである。彼らのための施設が作られる。刈れ荒は治療の対象になる。症状は観察され、分類され、それは病理学的症候としてカタログ化される。よって、狂人は司法官による収監の対象ではなく、医師による治療の対象となった。一見すると、狂人の処遇の仕方はより合理化、より人道的なものになったように思えるが、この「ハードな隔離」から「ソフトな隔離」への移行過程で、ある共犯関係が暗黙のうちに成熟する。それは医療と政治の結託、即ち「知と権力」の結託である。
フーコーは、権力が当たりの柔らかい理性的な「代理人」である「学術的な知」を介して、むしろ徹底的に行使されるようになったと考えた。
フーコーは身体の苦痛についても興味深い考察を行っている。刑罰の歴史における身体刑の分析を通じて、前近代の身体刑があれほど残忍であったのは、刑罰が目指していた身体が私たちの身体とは「違う身体」だったからと、フーコーは論じる。
その論拠をフーコーは絶対王政期の「国王二体論」から導出した。国王二体論とは「国王には2つの身体がある」という概念で、カントーロヴィチの『王の二つの身体』という法思想史研究によって知られるようになった。国王は普通の人間と同じように傷つき、病み、死ぬ第一の身体の他に、不死にして不壊【ふえ】の第二の身体を持っており、この第二の身体である「政治的身体」こそが王権王国の永続性と正当性を担保するものと法学者たちは考えたのである。
フーコーはこの国王二体論に着目して、国王を弑虐【しいぎゃく】しようとした大逆罪の犯人への残忍極まりない身体刑の意味を解き明かす。フーコーによれば、大逆罪とは王の「自然的身体」ではなく、その「政治的身体」を侵そうとした行為なのである。大禁を侵した者が毀損した「王の政治的身体」の対極に、それに拮抗する、不死にして不壊の「弑虐者の政治的身体」を想定して、大掛かりな身体刑によてそれを破壊することを目指したのである。
・ラカンが1936年に発表した。
・主体の形成において鏡に映る映像が持つ決定的な重要性を解明した理論である。
・鏡像段階とは、人間の幼児が生後6ヶ月くらいになると、鏡に映った自分の像に興味を抱くようになり、やがて強烈な喜悦を経験する現象のことである。人間以外の動物は、最初は鏡を不思議がって、覗き込んだり、ぐるぐる周囲を回ったりするが、そのうちに鏡像には実態がないことがわかると鏡に対する関心はふいに終わってしまう。ところが、人間の子供の場合は違う。子どもは鏡の中の自分と像の映りこんでいる自分の周囲のものとの関係を飽きずに遊びとして体験する。子どもが強い喜悦を得るのは、「私」を手に入れたからである。
・鏡像段階は、「ある種の自己同一化として、つまり主体がある像を引き受けるとき主体の内部に生じる変容として、理解」される。
・人間が成熟するためには、鏡像段階を通過することが不可欠であるが、よいことばかりではない。一挙に「私」を視覚的に把持したという気ぜわしい統一像の獲得は、同時に取り返しのつかない裂け目を「私」の内部に呼び込んでもしまうからである。
構造主義から構造主義に文句をつけると、何から何まで機能一点張りで説明しようとする点である。通常、機能とは何かの役に立つという意味がある。暖房器具の機能は部屋を暖めるという役に立つ意味がある。AがBの役に立ち、BがCの役に立つというように、目的と手段の連鎖が一列に並んでいればちゃんと説明になっている。しかし、機能主義人類学は社会をひとつのまるごととして取り上げて、そこで見つかる事柄にどんな関係があるかと考えようとする。全部を一度に取り上げるので目的・手段の連鎖が一列ではなく、一回りしてしまう循環論ではないかという批判がある。
例:インセントタブー(近親相姦の禁忌)はどの社会にも見つかる。もちろん、未開社会でも守られている。
ではなぜインセントタブーがあるのだろうか。機能主義者は、それは機能的だからだという。ではどんな機能があるのか?簡単に思いつくのは遺伝的に悪い影響があるかもしれないということである。これで説明になっているようだが、近親相姦のおかげで滅んでしまった種族はもういないから、証拠の挙げようがない。さらに、父方の従兄弟は禁止なのに、母方の従兄弟となら結婚してもよいというわけのわからない習慣を持つ部族がたくさんいる。インセントタブーが悪い遺伝を避ける目的だとすると、同じ親にあたる従兄弟の一方を禁止しておいて、もう一方は禁止にしないというのはおかしい。
他にもオーストラリアの原住民の一部では婚姻クラスという奇妙なものを持っている部族がいて、ややこしい規則にしたがって結婚相手を決めている。これがどんな目的をもっているのかお手上げ状態である。