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*目次 [#id7c3b72]

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*スパイの歴史 [#wb152afa]

**『孫子』 [#gb106fa9]

 約BC500年に書かれた最古の兵法書である『孫子』には、スパイの重要性を説いている。


**宮廷スパイ [#k960c05f]

 15,16世紀ヨーロッパにおける政治・哲学・文化の変革は、情報収集活動の発展を促した。

例1:15世紀にはレオン・バティスタ・アルベルティとヨハネス・トリセミアスの二人が複式換字法という暗号方式を開発した。そして、ベニスのジョバンニ・ソロらが暗号表記・解読術に貢献した。


 16,17世紀ヨーロッパの支配者たちは権力の維持・拡大のために、スパイ(宮廷スパイ)を用いた。

例1:フランス王ルイ13世の宰相であった枢機卿リシュリュー(1585〜1642)は、フランスに絶対君主制を確立させるために「闇の内閣」と呼ばれる全国的な諜報機関を設置した。この諜報機関は、フランス貴族の通信文書を傍受することによって行動を監視するといった活動を行った。こうして収集した情報を使い、リシュリューは、国王に反対する策謀を未然に防ぎ、絶対君主制の確立に努めたのだ。彼の最大の功績は、ルイ13世の弟であるオルレアン公ガストンとサンクマール侯爵が結託して王位を奪う策謀を未然に防止したことである。また、リシュリューは、フランスを戦費のかさむ戦争に巻き込むことなく、ハプスブルク家を弱体化させる政策を進めるために、海外にスパイを潜入させた。スパイは、ポルトガルやカタルーニャに働きかけて、スペイン支配に対しての反乱を起こさせてスペイン政権を転覆させた。他にも、スウェーデンを神聖ローマ帝国との三十年戦争(1618〜48)に意図的に突入させて、ドイツを弱体化させて、アルザンをフランス領とするといった功績をたてている。 

例2:エリザベス1世の時代の英国は、効率的な諜報組織が維持されていた。弱小な軍隊しか持たないプロテスタント国家の英国は、常にフランスやスペインといったカトリック大国の脅威を受けていた。これらの国と戦争状態になってしまえば、国家の存亡に関わる。そこで、両国の意図を知る必要があったのである。 


 英国のサー・フランシス・ウォルシンガム(1537〜1590)は機密諜報部を設立した。 


**南北戦争 [#re0e1085]

 南北戦争(1861〜65)が始まった当初は、北軍・南軍両方とも諜報機関を持たなかった。双方とも情報収集はローズ・グリーンハウのような愛国的な志願者に頼っていた。

例:ローズ・オニール・グリーンハウは、女性の南軍スパイである。ワシントン社交界の有力者という地位を活用して、戦勝直後にスパイ情報網を作った。そして、美貌を利用し、北軍の政治家や軍人たちから情報を収集した。 


 北軍司令官ジョージ・マクレラン将軍は、戦争開始後すぐに秘密情報部を設置した。その諜報部の長官に私立探偵のアラン・ピンカートンを着任させた。元々鉄道の安全を守るための探偵事務所をやっていたため、諜報に関しては素人だったが、徐々に逃亡奴隷から情報を入手する方法を確立するなど活躍する。

 また、北軍首席軍事顧問であるウィンフィールド・スコット将軍が、ラファイエット・ベーカーを長とする別の秘密情報部を設立する。 

 アラン・ピンカートンの秘密情報部とラファイエット・ベーカーの秘密諜報部は対立し、不和が生じた。 

 その後、より本格的な軍事諜報作戦は、ユリシーズ・S・グラント将軍配下のジョージ・H・シャープ大佐たちによって展開されていく。 

 一方、南軍ではトーマス・ジョーダン大佐、その後任のウィリアム・ノリス少佐が情報収集作戦を行っていた。正式に南部連合国に秘密情報部が設立されたのは、終戦近い1865年のことであった。 

 南北戦争では様々な新しい技術が用いられた。

例1:諜報目的に初めて写真が使われ始める。南部連合国はマイクロドットの原型も使用している。 カメラマンは軍事要塞施設や野営地の写真を自由に撮ることが許されていたので、双方ともに敵方の状況を知ることができた。

例2:主な戦いで軍の連絡のために[[モールス信号]]も初めて使われ始めた。

例3:熱気球を使った航空写真も考案された。 

例4:南部の医薬品不足は深刻であり、女性や子供は隠し場所つき人形の胴体の中に薬品を隠して敵陣を突破した。


**第一次世界大戦 [#ubdd4fe1]

 第一次世界大戦(1914〜1918)開戦当初は、諜報員が大きな脅威になると両国とも考えていた。しかし、実際に決定的役割を演じたのは、暗号通信であった。

 ハーバート・オズボーン・ヤードリー、マタハリもこの時代のスパイである。 


**ロシア革命 [#aebb707c]

 ロシア革命(1917年)後、ロシアではボルシェビキ党が権力を掌握した。ボルシェビキ党は秘密警察チェーカーを作り、ボルシェビズムに反対する者に対して、赤色テロルと呼ばれる静粛を行った。

 ボルシェビキ党の権力が確固たるものになると、チェーカーは海外も活動範囲に入れた。

 1923年、ソビエト連邦が成立すると、チェーカーはOGPUとなり、後にNKVD、KGBと名称を変えていった。


**第二次世界大戦 [#h0936b40]

 ヨーロッパで戦争が勃発した1939年、ソ連・ドイツ・日本・英国の各国は海外に確固とした情報収集網を敷いたが、アメリカにはなかった。~
 その中でも最も広範囲にスパイ網を展開していたのはソ連である。レオポルト・トレッペルが率いる西ヨーロッパ・スパイ網がその一例である。1941年、トレッペルはドイツ軍のソ連侵攻計画を事前に通報した。同様の通報は、日本で暗躍していたリヒャルト・ゾルゲからも送られてくる。しかし、スターリンは自国の諜報機関の情報源を信用していなかった。ちなみに、日本はドイツの同盟国同士だったから、ドイツ軍のソ連侵攻作戦を事前に知らされていた。~
 ドイツのスパイ活動はあまり成果をあげることができなかった。ドイツ諜報陣営は、ドイツ国防軍防諜部(アプヴェール)と、ナチ親衛隊の諜報機関SD(親衛隊保安本部)の2つに分かれていて、双方ライバル視していた。終戦まじかになるとSDの方が権力を振るうようになってくる。=
 日本は情報収集機関を幾つかの組織に分けていた。海外では大使館で主な情報収集を行い、国内では特高(警視庁特別高等課)が防諜を担当していた。さらに、軍部にも独自の情報収集機関があり、日本の占領地では憲兵隊が防諜活動を行っていた。 

・特高は、破壊活動分子を弾圧し、日本の強権的な政治体制を存続させるために1911年に設置された。日本における共産主義の発展を防ぐうえで大いに業績を上げた。 

・憲兵隊は元憲兵隊将校だった東条英機首相の支援を背景に権力を握っていた。ドイツのゲシュタポ同様に残忍きわまりない活動を行っていた。 

・日本は第二次世界大戦に参戦する数ヶ月前に、日本軍の諜報機関はF組織というスパイ網の一部を東南アジアに張り巡らした。その一方、海軍情報部は、日本の攻撃計画の目標であったハワイ真珠湾の米海軍基地に関する情報を入手した。このように、日本は自国の情報源を活用し、真珠湾や東南アジア諸国への攻撃を有利にさせた。 

・中立国スペインではTOスパイ網と呼ぶ日本のスパイグループがアメリカを含む各国に派遣している工作員たちによる情報により、連合軍の艦隊に関する情報を得た。TOの指揮をとっていたのは、マドリードの日本大使館で公使の地位にあった麻呂弥吉郎である。TOが得た情報は日本のみならず同盟国のドイツでも利用されていた。

 英国は、支配地域を切り取ってゆく敵国と戦うために情報戦略を練る必要に迫られていた。1940年に対外秘密情報部(MI6)のヨーロッパ支部は、ドイツ軍の手により、壊滅状態になってしまう。そのため、英国は新しい諜報機関であるSOE(特殊作戦執行部)を設置した。SOEは、情報収集と地下闘争(レジスタンス・グループへの支援を含む)を同時に遂行するための初めての組織であった。 

 アメリカは、各国に遅れをとり、1942年にOSS(戦略情報事務局)を設立した。OSSは、SOEと同様の役割を担っていたが、より強力な情報収集部隊を抱えてた。 


**冷戦時代 [#j0af8225]

 冷戦時代とは、1945年から1990年代初頭の共産主義崩壊に至るまでの東西対立の期間のことである。 

 この時代のはじめ、第二次世界大戦中のソ連の同盟国であった西側諸国は、自国の領土にソ連の情報収集工作網が広がっていることに対して脅威を覚えていた。アメリカは、独自に海外情報収集組織としてCIA(中央情報局)を設立して、これに対応していく。後に、信号情報収集と暗号解読の専門機関としてNSA(国家安全保障局)が設立される。ちなみに、アメリカ国内における防諜活動はFBI(連邦捜査局)が行っていた。

 冷戦時代の大きな特徴は軍備拡大競争だった。東西間で核兵器の主導権争いが繰り広げられる。 

例1:CIAとMI6が東ドイツと西ドイツの国境付近に大規模なトンネル(全長450m)を掘った。トンネルのほとんどが東ベルリンの地下を通り、一番奥の小部屋ではソ連軍の電話線が盗聴されていた。このトンネルは一年後に東ドイツの修理工に発見されるまで機能し、ソ連軍の部隊配置に関する情報を多数入手した。 

例2:CIAがソ連の核戦力を評価するために、U-2スパイ機を開発する。このU-2スパイ機により、従来の飛行機より高い高度からの写真撮影が可能となった。